ごきげんよう!さわこです。

安息日学校聖書研究ガイド「終末時代への備え」2018年第二期第6課、5月7日のまとめ。

SDAでは律法不要論の教えを聞くことはありませんが、

「イエス様が十字架で罪を贖ってくださって『すべては終わった』と解決されたので律法は不要になった、

というキリスト教の教えがあるようです。その教えが聖書的でないことをローマ7章から確認できます。

 

5月7日 まとめ

・     律法は、罪がいかに蔓延しており、いかに致命的であるかを示す。

「・・・律法によらなければ、私は罪を知らなかった・・・律法がむさぼるなと言わなかったら、私はむさぼりを知らなかった」(ローマ7:7)

 

・     律法と罪との関係について、律法によっては救われないことをパウロは指摘している。(ローマ7:1-14参照)

 

・     「律法は聖なるものであり・・・正しく、そして善いものなのです」(ローマ7:12)

 

・     問題は罪であって、それが死をもたらす。

 

・     律法には、私たちを罪や死から救う力がない。

 

・     律法は、罪や死という問題を指摘する。

 

・     律法は罪や死と言う問題をいっそう明らかにするが、その問題を解決はしない。

 

・     死をもたらすのは律法ではなく罪である。

 

・     律法には、罪に対する答えはない。

 

・     罪に対する答えを持っているのは福音である。

 

・     律法は、罪の現実とその結果生じる福音の必要性を指摘している。

 

・     罪は律法によって死をもたらすものであることが明らかにされ、戒めによってさらに罪深いものとされた。(ローマ7:13要約)

 

5月6日のまとめ

・     ローマ8:1には素晴らしい約束が書かれています。

「従って、今やキリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」

この約束を確証づける聖句は、ローマ7:15-25です。

人間に影響を与える罪の現実について、パウロは言及しています。

「すべきでないと分かっていることをさせようとする肉の力、

すべきだと分かっていることをさせようとしない肉の力の存在を

『自分の中に住む罪』」として、その格闘をパウロは書いています。

 

・     問題は律法ではなく私たちの肉である。

 

・     神に従おうする誰もが直面する格闘を

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰がわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ7:24)

とパウロは表現しています。

 

・     パウロのこの格闘を経験せずして、キリストの必要に気づくことのできる人はどのくらいいるでしょうか。

罪の力との対決は自分の力では出来ない惨めさを思い知らされることが、キリストを求める心へと駆り立てられるのではないでしょうか。

 

・     罪はこの世界に現実としてあります。誘惑に遭います。格闘します。

この罪への誘惑に格闘するためにはイエスの信仰に頼らなくてはなりません。

 

・     自分の肉の思いに頼ることを手放して、イエスの心に従うことでイエスと一つになることで戦いに勝利します。

律法とはイエスご自身ですから、律法に従うとはイエスに従うことです。イエスが私に代わって戦ってくださるのです。

 

・     罪からの救いは、完全に人性をとってこの地上にお降りくださった完全に神性をお持ちであるイエス・キリスト抜きにはあり得ないのです。

 

マラナ・タ

13回連続講演と重なった6課でしたが、もう一度じっくり復習しないではいられないほどの重要な学びでした。

今日は多忙な一日でしたから、睡魔に襲われています。

・・・ということで続く。