ヨブは3人の友を、何をしているのかわからない医者になぞらえた。

ごきげんよう!さわこです。

 

13章

ヨブの見舞いに来て、正論らしきものを振りかざしてヨブに的外れな説教する友たちに対してヨブは、何をしているのかわからない医者になぞらえて反論しました。(ヨブ13章4節)

 

それについて、バイブルナビの解釈はわかりやすいので引用します。

 

彼らはまるで、心臓切開手術をしようとしている眼科外科医のようだった。

神についての彼らの考えの多くは真実であったが、ヨブの状況には当てはまらなかった。彼らが、神は義であられると言ったのは正しかった。

神は罰せられると言ったのは正しかった。

しかし、ヨブの苦しみは彼の罪への罰ゆえであると想定したことは間違っていた。

彼らは正しい原則を間違って適用し、人間の状況の中での大きな違いを無視した。

聖書的な非難を他者に適用する際、注意深く、同情深くなるべきである。

判断を急いではならない。

 

14章

人生は短く、困難に満ちているとヨブは嘆いている。

病、孤独、失望、死は、ヨブに人生は公平でないと言わせた。

この世は不公平である。

しかし、神は、神と共に生きる者には永遠の命を保証している。

神はその希望を与えてくださっているが、私たちはそれを受け取っているだろうか。

 

7節―9節で、ヨブは「木には望みがある」と言う。

木には望みがある。

たとい切られても、また、芽を出し

その若枝は絶えることが無い。

たとい、その根が地中で老いその根株が土の中で枯れても

水分に出会うと芽を吹き

苗木のように枝を出す。

 

10節では

「しかし、人間は死ぬと、倒れたきりだ。人は、息絶えると、どこにいるか」と

木には望みがあっても、人はどうなのだ?問いかけながら、

ヨブは自分の希望を13節―17節に綴ります。

「あなたが・・・私のために時を定め、私をおぼえてくださればよいのに」

「人が死ぬと、生き返るでしょうか・・・」

「あなたが呼んでくだされば、私は答えます」

「今、あなたは私の歩みを数えておられますが、私を被ってください」

 

一本の木にさえ神が望みを与えてくださるのなら、神ご自身に似せて造られた人間にはなおさら希望を与えてくれるのではないか。

たとい切られても芽を出す若枝、枯れたようでも命の水によって芽を吹き、苗木のように枝を出す木。

自然の摂理から、神の深い憐れみと神の永遠の命を読みとるヨブに神が人をご自身に似せて造ってくださったことの証しだと思います。

 

人生の経験によって試みられる苦しみは神に拠り頼む信仰へと高く引き上げ導き養ってくださる。

ヨブが苦しみの内にありながらも神の真理に近づいて行く一方、友人たちは苦しみの原因を憶測しヨブを責め立てる。

試練の内に神の真理に迫って行くヨブの信仰と、個人的試練を体験しない者たちが正義を振りかざし攻撃し、苦しむ友への愛が微塵も感じさせない友人たちの信仰との対比を13章14章15章に感じてしまうのです。

16章で、ヨブはついに友人たちに言うのです。「何度もきいたよ。あんたたちは煩わしい慰め手だ!」

16:2「そのようなことを、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ」

 

16:19-21

「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます」

「私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します」

「その方が、人のために、神に執り成しをしてくださいますように。人の子がその友のために」

 

ヨブ記16章から「いつくしみふかき」の2番3番の歌詞を思いました。

いつくしみふかき 友なるイエスは 

我らの弱きを 知りて憐れむ 

悩み悲しみに 沈める時も

祈りにこたえて 慰めたまわん

 

いつくしみふかき 友なるイエスは

変わらぬ愛もて 導きたもう

世の友われらを 棄て去る時も

祈りにこたえて いたわりたまわん 

 

ヨブは一瞬で、全財産と子どもたちを失いました。

妻も「神を呪って死になさい」と言ってヨブから離れて行きました。

この妻については苦しむヨブの傍にいて苦しむことから逃げ出してしまった彼女の耐えきれない辛さを思い同情してしまうのです。

単純に苦しむ夫を見捨てた悪妻の標本と言い切ることができません。

ヨブの妻を責め立てるようなことは私にはできません。

しかし、彼女の弱さ苦しさに同情はできても、そばにいて欲しい時に妻が去って行ったことは、ヨブをさらに孤独にさせてしまったに違いないと気の毒に思うのです。

妻は去ったからといって平安な日々は来ないのです。彼女も悲しみ続けるのです。

ヨブも妻も孤独です。ヨブの場合は信頼していた友人たちに責められ続けられるのですから、なおのこと心労があります。

 

ヨブは人生の激しい試みの中で、友に理解してもらえず、同情してもらえず、責めたてられる中で、神こそ真の友、真の救い主であると目が開かれて行くことが、14章から16章に記されています。

ヨブは順境な時にも間違いなく正しい人でした。神様との関係も健全でした。

しかし、逆境の時に、救い主なる神様の本質理解が深まり確かになって行くのです。

 

マラナ・タ

そういうヨブの在り様に私は試練苦難の持つ恵みの意味を感じています。