ごきげんよう!さわこです。
先々週の安息日学校分級のこと、桃さんと敬くんが、「分級の時間は何分あるの?」と聞きました。
「40分かな」と答えましたら、
「ええっ!そんなにあるの?学校の授業時間と一緒だ。学校では40分が長いんだよ、眠くなる時だってあるし。さわこさんとの分級は15分か20分くらいに感じる。」
と二人がめいめいに同じことを言うのです。
「それはね、この時間を神様が支配してくださるから、楽しいのよ」
この日は小学上級生用テキスト3課「逃げ出した青年」フィレモンへの手紙を学びました。
「この手紙はとても短いのよ」と聖書を出して確認してもらいました。
「テキストを読む? 聖書を読む?どちらがいい?」
間髪入れずに「聖書!」と二人。
逃げ出した奴隷のオネシモについて、オネシモの主人であるフィレモンへのパウロからのお願いの手紙です。
パウロの態度について、大切なことを伝え頼みごとをする時には、どのようにしたら、誠心誠意が伝わるかを共に学びました。
私の質問に、二人はにこにこしながら活発に答えてくれました。
人の傷つきやすい心や、言い方ひとつで反発心が湧いて来ることや、無視したくなる気持ちも正直に話してくれました。
最後に、「では、あなたはこういう場合にはどうするか?」と質問すると、
自分のことに適用した思いを語ってくれました。
本当に、いつも不思議なくらいに、あらゆる思いをあらゆる側面から語ってくれるのです。
それは、桃さんと敬くんだけでなく、かれこれ10年というもの、どの時代の子どもたちもそうでした。
おかげで分級は密度の高い聖書の学びの時間となり、聖霊様の働きを最も体験させてもらったのでした。
週によっては生徒が1人の時も、5人も6人もいる時もありますが、どのような状況でも聖霊様の導きに拠って充実した学びとなってきました。
不思議としか言いようがありません。(参照:士師記13:18)
さて、先週は小学6年生の桃さんと私の二人でした。
「ふたりだけって、さびしい気もするけど、二人だけだからこそ出来たって、学びがあるよねえ。分級は二人でも三人でも大勢でも、イエス様が一緒だから良い時間になるよねえ」
桃さんも、うんうん・・・。桃さんのお姉ちゃんの時代にもそうでした。
神様の御心ならば、いつまでもさせて頂きたいお役です。
さて、先週はテキスト4課。
若い頃、イエス様を神の子と信じる人たちを迫害していたパウロが、ダマスコへの道でイエス様に出会います。
「知っているよね?パウロがどんなことをしていたのか。」
今日は桃さん一人ですから、聞き役に回ることなく、サウロと呼ばれていたパウロがどのようにしてイエス様信じるようになったのか、たっぷり語ってくれました。
敬くんもいるときには、互いに語れるように二人は気を使い合います。
私も適度に二人に振り分けながら、聞き役に回ります。
「ところで・・・パウロは復活されたイエス様にお会いしたのですが、イエス様は神様だから復活されるのは当然だって思うでしょう?」
「もちろん」と桃さん。
「パウロやペテロたち、イエス様のお弟子たちは自分の目で見たから信じたのだけれど、それから2000年も経った今の人たちの中には信じられないって人もいるでしょうね。」
「そりゃあ、居ると思うよ」
「桃さんはどうなの?」
「わたしは信じてる」
「イエス様は神様だから、神には出来ないことはないものね」
「うん、そう」
「じゃあね、死んだ人間だって、イエス様を信じた人は復活するってパウロは言っているのよ。それって、信じられる?イエス様の復活は信じても、人間の復活を信じることってできるかなあ。人間の復活は信じられないって人は、いっぱいいると私は思うのだけど」
「そりゃあ、居るよ、ぜったいおるよ」と桃さん。
「桃さんは、どうなの?」
「私は、人間の復活も信じられる」
と、はっきり言うので、さらに尋ねてみました。
「じゃあ、桃さん、その理由を説明して。その根拠を説明してよ」
私は桃さんがどのように説明するのかをドキドキしながら待ちました。
しばらく考えてから話すのかと思いきや・・・即答でした。
「全世界を何もないところから、神様は創造したんだよ。死んだ人を復活できるのはあたりまえじゃないの」
とニコニコしながら、余裕で語ってくれました。
桃さんの信仰告白です。
私は、創世記1章から3章が好きです。
分級の時にも、何度となく創世記1-3章にもどって語ります。
私の信仰の土台です。
神の創造と贖罪、罪の性質が3章までには、明確に記されているからです。
創世記の3章まで(天地創造とエデンの園)を
神話物語にしてしまうキリスト教もあると聞いたことがありますが・・・
それはないでしょう。
神話と言う形で伝えられている真理を見ないのでしょうか。
神話とは作り話ではなく、神がお話くださった事実だと私は考えます。
マラナ・タ
大人から教えられたことを丸覚えして語るのではなく、
聖書の学びから、聖霊様の導きの中で、理解して、自分の言葉で話せる子ども。
そういうふうにキリストの弟子として成長していく桃さんを頼もしく思います。