ごきげんよう!さわこです。

聖書通読は、サムエル記・上 に入りました。

旧約聖書に登場する偉大な指導者(アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ソロモンなど)には

複数の妻がいましたが、これは神が本来意図された結婚のあり方ではありませんでした。

 

何故、神の民に一夫多妻制が存在したのか?

①     より多くの子孫を得るため。男性の家系を確実に存続するため。多産は地位と富の象徴であった。

②     多くの若者が戦闘で死ぬ社会では、未婚のまま生活苦に陥る恐れのある女性たちの支援策としてこの制度が受け入れられていた。

一夫多妻は深刻な家族の問題となったことは、アブラハム、ヤコブ、ダビデのケースからもはっきりしている。

 

エルカナの妻ハンナには子供が生まれなかった。

もうひとりの妻ペニンナには次々と生まれた。

エルカナはそれでもハンナの方を愛したので、ハンナに嫉妬したペニンナはハンナを侮辱し嘲った。

緊張した家族関係。他者の不当な批判や意地悪い心無い言動をやめさせることはできないけれど、

それに対して自分がどのように対応するかは、自分で選ぶことができる。

自分の問題にこだわり続け、他者の意地悪に自己憐憫に落ち込むことも出来る。

しかし、自己憐憫を希望に変えることもできる。

ハンナはペニンナからの意地悪を、神様に向かう祈りへと変えることができた。

ハンナは自分の問題とペニンナの意地悪によってますます膨張する苦しみを神様に正直に打ち明けることができた。

そして、この緊張とストレスという混乱から、神様のうちにある秩序と美が引き出されていくことになった。

始めは酔っ払いだと誤解をしていた祭司エリから理解を得て

「安心していきなさい。イスラエルの神が、あなたの願いをかなえてくださるように」と励ましを受けた。

 

自分の理解を超える人生の試練にあって、

自分の人生のすべてを神は究極的に支配しておられると信頼しよう。

自分の体験するすべてに人間の目には隠されていて理解できない神の御計画を信頼しよう。

それは愛の御計画だと信じて希望を持とう。

 

忍耐できる力を注いでくださるように求めよう。

自分の側で為すべきことを気付かせてくださいと願おう。

 

神はハンナの願いを聞かれた。

その上にサムエル以外に5人の子どもを授けてくださった。

 

神は、人間の創造を超える方法で祝福してくださる。

神の祝福は、今すぐ来ないかもしれない。

事実、来ていないから苦悩がある。

心身の不調が起きる。

では、どうしたらよいのか。

 

打ち崩れて落ち込み続けて待つしかないのか。

“果報は寝て待て”

日本昔話のように“三年寝太郎”を実行すればよいのか?

 

神は聖書を与えられた。なすべきことを教えてくださっている。

「それをする気力さえないのです。誰も助けてくれませんから。私にぴったりした方法で助けてくれませんから、起き上がれないのです」

と弱音なら幾らでも吐くことができる。

 

イエス様は「良くなりたいか」とお尋ねになりましたのに、

その男は、イエス様の質問には答えずに、「池に入れてくれる人がいないからだ・・・」と言い訳。

人のせいにしてしまう罪の性質を感じました。

「起き上がりなさい」とイエスは言われました。

 

男は聞くだけなく、聞き従った、行動に移した。

 

意気消沈した人々に「良くなりたいか」と今日もイエスは尋ねておられる。

「主イエスよ、良くなりたいのです。あなたの力を注いで気力を満たしてください」

と祈れないものだろうか。

「祈れないのです。誰か私のために祈ってください」

それだけのフレーズを言葉にするならば、もっと短い力あるフレーズがある。

「主イエスよ、憐れんでください」と祈ろうではないか。

そこに、神との関係が日々新たになるのではないだろうか。

 

マラナ・タ

主イエスよ、祝福が訪れるのを待つ間、

その時にも、祝福された待ち方をできる知恵を与えてください。

どのように待つか、天来の知恵を待ち望みます。

あなたの示してくださった方法に瞬時に聞き従う者とならせてください。