ごきげんよう!さわこです。
私の用いている聖書通読表では、日曜日には詩編、箴言に続いてヨブ記を読むようになっています。
ヨブ記の理解を深めるにあたり相応しいと思うところのバイブルナビの解説を参考にしながら・・・私見も交えて・・・
① ヨブは、神様と正しい関係を持ち、正しく生きていたが、
本当に正しく罪もなく生きてこられたのは、人として地上人生を歩まれたイエス・キリストだけである。
ヨブは全力を尽くして注意深く神に従い、責められるところのない人生を歩み、
人からは非難されるところがなくても、神の正しさには及ばない。
② サタンは、ヨブの不完全さを指摘して神からの罰を受けるのは当然だと指摘する。
サタンは、神はヨブのことを気にかけてはいなくて、しかも公平ではないお方であると思わせる。
ヨブの経験する苦しみはヨブの罪の結果であると責める。
私たちの苦しみは、罪の結果である時もあれば、そうでない時もある。
私たちは、苦しみの結果としての罪を犯さないようにと神に助けを請わなくては、
サタンの論理に惑わされて弱気になってしまう。そこをサタンは狙っている。
③ 嘆きの感情が圧倒的な強さを持って迫って来るとき、あなたはどうしたらよいだろうか。
内省して自分の心を見つめ、自虐的になっていく落とし穴にはまってしまってはならない。
感情に支配される悔い改めに似せた自己憐憫的罪人意識に捕われてしまうからだ。
祈りの中で、神に自分の感情を隠すことなく表現しよう。
そうすれば、神はあなたの傷ついた感情を癒し、
その苦しい状況の中で、永遠の視点を持つように助けてくれ、
建設的に状況に対応することができる能力をお与えくださる。
④ 神のまなざしは愛のまなざし。
神は私たちを批判的に監視しているのではない。
あわれみをもって見ておられることを忘れてはならない。
⑤ ヨブの友人たちは
「神は不正ではない。神は正しい者を罰さない。ゆえにヨブは不正である」
「人々の苦しみは罪の結果であり、ヨブの子どもたちも自分自身の不正のせいで死んだのだ」と言った。
⑥ 多くの人々は安全のためには何でもする。
しかし、結局は、お金も所有物も、知識も人間関係も消えてしまう。
神だけが永遠の安全を与えてくださる。
あなたは安全のために何を信頼するだろうか。
それは永遠に持続するものだろうか。
⑦ ヨブは、ほんの数日のうちにすべてを失った。
子どもたちは殺され、所有物と富は奪われ、妻は夫に背を向け、ヨブの健康は取り去られた。
ヨブは悪人が最終的には滅ぼされると知ってはいたが、ヨブの悲惨な状況に混乱した。
ヨブは自分が完全であるとは主張はしなかったが、自分が悪人であり不誠実であるとは認めなかった。
例えば、「あなたは完全に善人でないから、嘘つきだ、泥棒だ」と言われたら
「はい、おっしゃるとおりです。」と言うだろうか。してもいない悪事をしたと言うだろうか。
⑧ 人は、長期の病、長い痛み、精神的にひどく落ち込んである時、
疑いや絶望感や、我慢が限界に達してしまうがある。
それは不誠実だろうか。信用に値しない人間にと呼ばれるだろうか。
弱音を吐くことは不信仰だと言われるだろうか。
神への忠誠心が欠けていると言われるだろうか。
そのような時、批判し、戒め、譴責、勧告、正論をとうとうと語ることで、
弱り切った人を助けることができるだろうか。
⑨ ヨブの友人たちは見舞いに来た時、初めは長く沈黙をしていた。
ユダヤの慣習では、慰問に訪れた人は嘆く者がことばを発するまでは話してはならないと教えていた。
これは賢い伝統であった。他人の苦しみには、共にいて、何も言わないのが最善の反応だからである。
⑩ ヨブが嘆きの言葉を口にした時、友人たちは、ヨブの苦しみを説明しようとした。
説明をすればするほどヨブの苦しみは増した。
ヨブの災難その1、子どもたちと全財産を数日のうちに失った。
ヨブの災難その2、ひどい皮膚病になった。
ヨブの災難その3、信頼していた友人たちに責めたてられた。
一つの災難が解決して二つ目が、それから三つ目の災難に見舞われたのではない。
三重苦のヨブです。古代から現代まで、世界中を見回せばヨブのような人はたくさんいるのです。
大災害で自分以外の家族全員と財産のすべてを失った人。
戦争や侵略で村全部が焼失し生存者もいなかった地域。
侵略されて民族が絶滅された国々はいくつもあります。
我が国を平和だと言う人も多いのですが、本当に平和でしょうか?
日本は物質文明に汚染されてしまい人の愛が冷えているから平和ではないという人もいますが、
日本は侵略されるという危機を嗅ぎ取っている人は、平和ボケをしている日本の現状に不安を感じ取っているのです。
⑪ 嘆きの内にあるときの友人関係は、忍耐が必要である。
全ての質問に回答しようとしなくてよい。
聞く耳を持って傾聴すればよいのである。
痛みを持つ者とともにいるという物理的な存在が最も大きな助けとなるようにしよう。
自分自身の忍耐が増し加えられますように、と自分のために祈ることで、
友人の魂に寄り添える人となれるように神様に助けを求めよう。
⑫ 友が、何らかの疑問を持ってあなたの傍に来た時、
あなたの知っていることだったらすぐに応えたい欲望が頭をもたげる事だろう。
あなたはすべてを答えなくていい。
友が自分で答えを見いだすことができるヒントとなる知識や助言を
ほんの少し提供するだけでいいのかもしれない。
友の出した答えが全く的外れの時もあるだろう。
苦しむ人のそばにいることで、神様は忍耐を教えてくださる。
神様に知恵を求めて祈るように導いてくださる。
⑬ 不可解な苦痛に直面する時、その痛みは自己憐憫を引き起こす。
自己憐憫はひとりよがりのパターンのひとつ。
神様を責めたい気分になる。
信仰者はより大きな試練に遭うものだと諭されると、
クリスチャンにならなければよかった。では「さようなら」と信仰を捨てる人もいる。
⑭ 人生の試練は、神が許されたものであろうと、神から来たものであろうと、
成長と精錬の手段となりうることを覚えよう。
試練に直面する時、「私は何を学び、どのように成長できるだろうか」と神に尋ねよう。
⑮ 私たちの限りある経験をもとにして、人生一般に関する結論に走ってはならない。
もし、あなたが、神を疑っていることに気づいたなら、
自分はすべてを知っているわけではないということを覚えよう。
⑯ 「誰がこんなことをしたのか。どのようにしてここから脱出できるだろうか」という質問も出てくるだろう。
その答えはシンプルだが、信仰の世界の答えである。聖書に書かれている答えである。
「神が完全に造られたこの世界に、サタンが侵入して罪を持ち込んだのです。
誰がこんなことをしたのか、と聞かれたら、サタンです」と私は答えます。
「どのようにして脱出できるか」と聞かれたら、「脱出の道はイエス・キリストです」と私は答えます。
「この意味不明なだましごとにしか聞こえないことの真実を知りたいと思いませんか。
じっくり聖書を学べば納得のいく答えに行きつくと自信を持って私は言えます。
安息日ごとの礼拝におあずかりすることも、最良の方法です。」
マラナ・タ
聖書は永遠の視点を持って読まなくてはなりません。
ヨブ記も近視眼的に読んでいると、
部分部分の友人たちの言葉に惑わされてしまいます。