ごきげんよう!さわこです。
昨日、一日中降り続いた激しい雨。
今日は、美しい朝の光が射しています。
おはようございます。
今日の光 4月25日を読み、受けたこと・・・
主イエスは、ご自分の恵み深い賜物に感謝する者たちのそば近くにおられます。
祝福とは、神から注がれる慈しみと慰め、つまり愛。
それを感謝して受け止め、表現する時、祝福は大きな喜びとなる。
私たちは、現世的祝福をいつも求めて祈ります。
しかし、神様の祝福は、それにはとどまりません。
私たちを霊的祝福を受けるようにと引き上げてくださいます。
そのために、現世的祝福をお与えにならないこともあるかもしれません。
そこで、忍耐を、何よりも忍耐を学ばせていただくように思います。
悲しみの人であるようにと、招かれるのもしれません。
いつの日にか、痛む人に出会った時のための訓練をさせて頂くのかもしれません。
「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」詩編119編71節
神様からの祝福を真に受けるなら、
家庭においても教室においても、礼拝においても、
尊敬と畏敬の精神が表わされるようになります。
無作法と無礼のままに生きているなら、
神の愛も、救いの喜びも本当に知っていると言えるでしょうか?
パスファインダークラブの、規則を思います。
規則の一つに、「パスファインダーは礼儀正しくします」とあります。
礼儀は愛です。
私は、日ごとに神の恵みの御座から流れ出る流れによって養われなくては、
まがいもののクリスチャンのままかもしれません。
神様からの一番の祝福は、私をキリストさまの似姿に変えることです。
神様は創造の第六日目に、ご自分に似せて、人を創造なさいました。
サタンの誘惑によって、人と神の距離が離れてしまいましたけれど、
神様は、御子をお降しになって、御子を信じる者は、
神様のもとに立ち帰ることができるように計画してくださいました。
わたしは、まだまだ不完全なままですが、
イエスを我が主、我がキリストと受け止めた時から、
不完全の完全を生きています。
マラナ・タ
神に対して礼儀正しく
隣人に対して礼儀正しく
自分に対して礼儀正しく