ごきげんよう!さわこです。

2018年3月31日、今日は何の日がご存知ですか?

七日目ごとの安息日ですが、いつもの安息日でありながら、特別な安息日なのです。

今日は過越しの祭りだからです。

つまり太陽暦での3月31日は、太陰暦であるユダヤの暦では、第一の月の14日の夕暮れが主の過越しであり、翌15日が主の除酵祭・種入れぬパンの祭りが七日間続くのです。

種入れぬパンと言えば、なじみがあります。

洗足式・聖餐式のときに頂く小さなクラッカーのようなパンです。

イースト菌・酵母菌を入れないのでふくれないのですね。

 

私の教会では、執事が聖餐式のために種入れぬパンを焼きます。

私もたびたび焼かせていただきますが、そのための道具はすべて聖別してあります。

全粒粉、塩、水、オリーブオイルをボールに入れてスプーンでぐるぐる混ぜ、後は手でしっかりこねていきます。そして薄くのばして、小さな四角になるように、ナイフで切り目を入れて、フォークで穴をあけてオーブンで焼きます。酵母菌の入ったパンと違って、実に手早く焼けるのです。

 

ユダヤ暦の第一の月は太陽暦では3月から4月ごろになります。

出エジプト記12章には、この主の過越しの月をあなた方の正月とし、年の初めの月としなさいと書かれています。

私たちは今では、太陽暦(グレゴリオ暦と言いますが)に合わせて生活していますから、正月が太陽暦の1月1日となっていますが、神様は、過越しの日を正月とするように命じておられるのです。

太陰暦では、月の満ち欠けで日を数えますから、次第に季節そのものが暦からずれていきますが、過越しの日も仮庵の祭りの日も必ず満月になるのです。

 

それは創世記1章14-19に書かれているように、第4の日に神様が太陽と月を創造なさり、

「天の大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ」と言われている通りなのです。

 

私は毎晩、空を見上げては、月の満ち欠けを見て、神様の創造の御業の意味を確認することが楽しみの一つです。

この半月間は、月がだんだん大きくなっていく、過越しの祭りが近づいていると、わくわくしながら、同時に厳粛な気持ちを持って、今日の日を待ち望んでいました。

 

私は教会生活に入ってすぐ(四半世紀も前になりますが)、

ある姉妹から教えてもらって感動したことがあります。

それは、出エジプト記に書かれているエジプトにとっての10番目の災い、主の過越しで、エジプトの長子が、動物から人間に至るまで、主の天使によって撃たれる・殺されるという記事が、実はイエス様の十字架の贖いの預言であり、柱と鴨居に赤く塗られた小羊の血が、日本の神社の鳥居という形で、日本にその記念である印が残っているのだと言うことです。

 

それ以来、私は旧約聖書がイエス様を現している預言の記録であることに、

深い関心を寄せるようになりました。

 

私がA牧師のお作りになった聖書通読表にとてもひかれて年に一回の聖書通読が出来るようになったのは、この通読表に過越しの祭り、7週の祭り(五旬祭とかペンテコステの祭りとか言う呼び方もあります)、仮庵の祭りが、記入されているからです。

 

カトリックの伝統を引きついで、日曜日に礼拝しているキリスト教会の多くは、過越しの祭りや仮庵の祭りを祝いません。教会暦というキリスト教会の祭りを決めて祝っています。

過越しの祭りは、イエス様の十字架の預言でありますが、その日に向けて受難週として、イエス様の犠牲と救いに心を合わせて祈りの週とされています。

 

十字架から三日目にイエス様は復活なさいましたが、聖書には収穫の初穂を主に差し出す日として決められています(レビ記23:10-12)。

そこから、復活祭として、イースターの祭りとして、

カトリックや日曜日の教会はお祝いをしています。

ゆで卵にカラーペイントして芸術品のように素敵に仕上げたり、あちこちに隠した卵を探したり、教会によっては楽しい伝道のための行事として取り組んでいるところもあるようです。

 

クリスマスが商業ペースに乗ったように、イースターも次第に商業ペースに乗って普及してきているのだなあと思うのです。

 

私の教会ではイースターの祭りを祝うことはありません。

過越しの祭りも祝いません。

いわゆる教会暦のいうものも用いていませんのでキリスト教会のお祭りはありません。

七日目ごとの安息日にはお礼拝のために信徒たちは教会に集ってきます。

十戒の第4条「安息日を覚えて聖とせよ」を毎週、守っているのです。

洗足式・聖餐式は三カ月ごとに安息日礼拝の中で執り行います。

イエス様が十字架にお架かりになる前になされた儀式を行なって、イエス様の贖いを心に刻むのです。なんかの事情で足を洗わない人は聖餐式のパンもぶどう汁もいただきません。

カトリックや聖公会は、聖餐式そのものが礼拝となっているようです。

カトリックの礼拝は子供の時、伯母に連れられて行ったことがあります。

聖公会の礼拝は知人の信者さんがいらして訪問したことがあります。

 

マラナ・タ

今夜はくもっていて、満月が見えませんでした。

残念!