ごきげんよう!さわこです
今は、通読で歴代誌 下 を読んでいます。
今回はバイブルナビ新改訳を用いていますが、大事な気づきの機会をいただいています。
歴代誌下11章―14章、から・・・
神様は私に思い巡らせ考えよと言ってくださいました。
①何故、イスラエルの分裂を許されたのだろうか?
ソロモンの後継者である息子レハブアムの愚かな選択によってイスラエル王国は分裂した。
真の一致は強制できるものではない。自発的な心による自由の応答である。
力によって民を服従させようとするレハブアムの方法がイスラエルの不一致を招いた。
イスラエルの12部族の内10部族は、エジプトに逃れていたヤロブアムを王として反逆した。
北イスラエル王国の初代の王となった、ヤロブアムは真の神を崇める信仰者ではなかった。
それなのに、なぜ主はヤロブアムが北の十部族を統括する王として承認したのだろうか。
神様はなぜ、この反逆を支持されたのだろうか。
それは列王記上11:1に預言されているように、神に背いた国に対する罰の一つであった。
「それゆえ、主はソロモンに仰せられた。『あなたがこのようにふるまい、私が命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える』」
北イスラエル王国の初代の王となったヤロブアムは真の神を崇める信仰者ではなかった。
メシヤであるナザレのイエスの誕生につながっていく家系ではなかった。
後に続く歴代の王たちも偶像礼拝を続け、結局はBC722年にアッシリヤによって滅亡する。
イスラエル十支族は、歴史の舞台から消え去った。
BC586年に南ユダ王国もバビロンに滅ぼされるのだが、ユダ王国は何代かごとに、神様に忠実な王が出て、北イスラエルの滅亡から136年生き延びることができ、ダビデの家系も守られた。
ビロンを滅ぼしたペルシャは、ユダヤの民を60年後にエルサレムに帰還させてくれた。
メシヤをダビデの子孫として生まれさせるご計画は残ったのだった。
神は、イエスがダビデの末裔から生まれるという神のご計画を全うさせるという大きな目的のために、イスラエルの分裂を許され、ユダ王国を守られたと考えることが出来る。
数々の悲劇、悲哀を縄ないながら、神の御計画は着々と進行して、神なるキリストは神の御子として初臨なさった。
②「金の子牛」を造ったヤロブアムから何を学ぶか。
バイブルナビは
「あなたが惜しむものについて考えてみよう。
神以上に価値を置くものがあるなら、それはあなたにとっての金の子牛となり、
いつかあなたを引きずり倒すだろう。神との関係を邪魔するものはすべて手放すのだ。」と書いています。
ユダの王、アビヤは、ヤロブアムの祭司を任命する時の基準を批判した。その基準は神の方法でなかったからである。
バイブルナビは
「教会で責任ある地位を誰かに任命する場合、単に本人が申し出たから、本人がしたいと言って来たから、影響力があるから、高い教育を受けているから、などというだけの理由で選んではならない。任命される人間は健全な信条、神への献身、強い霊的性格を示すべきである。」
③14章のユダのアサ王から学ぶもの―神への従順は平和の第一歩―
アサ王は、主なる神の御目にかなうことを行ったので、アサの時代は平和であった。
神への「従順」は神と他者との「平和」につながる。
私たちの場合は、従順だからと言って、必ずしも敵との平和をもたらすとは限らない。
しかし、神との関係において心の平和と未来の神の国との完全な平和はもたらされる。
単に礼拝に参加するだけでは、神との平和を確保できない。
教会出席に積極的になったり善行を行ったりしても、自分の生活から罪深い習慣を取り除かなければ、混乱が残るだろう。生活から誘惑のもととなるものを取り除くことができるよう、神に願い続けなければならない。
④平和であるときにこそ、なすべきこと
平和の時はただ休むためのものではない。
苦難の時に対する備えをする時である。防備を築くときである。
⑤勝てないかもしれない戦いの時
自分の無力を求めて神の助けを祈る。
勝利の秘訣は、神の助けなしでは、人間の努力は不毛であると認め、神の救いを信じること
神の御力は、自分の限界を認める人間を通して最もよく働く。
自力ですべてできると考える人間こそ、最大の危機にいるのである。