ごきげんよう!さわこです。
「真新しい布切れで古い着物の継ぎをすると古い着物は引き裂かれ・・・」2:21
新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると古い皮袋は引き裂かれ、・・・」2:22
イエスは古い宗教制度を用いて、規則や伝統を意味づけようとはなさらなかった。
イエスの目的は、旧約聖書を成就させ、新しいことを始めることでした。
この新しいことを旧約聖書の律法の廃止に結び付けてしまう神学もありますが、
この新しいとこととは、創世記の初めから、何世紀もの間、預言され続けて来たことでした。
イエス・キリストは神の御子であり、すべての人々に罪の赦しと神の和解を差し出すために、この世に来られたと言うことです。
この新しいと呼ばれる福音は、律法主義には合いませんでした。
(2:21バイブルナビ注釈より)
パリサイ人は、古い皮袋のように柔軟性がなくなっていました。パリサイ人からはイエスが規則に縛られていないと見えたのです。(2:22注釈より)
パリサイ人の規則とは600にも及ぶモーセの口伝律法をもとにした人造の規則であり、イエスの規則とは十戒に集約される神の純粋な戒めでした。
神の戒めをもとにユダヤ教という人造宗教ではなく、神の戒めを神であるイエスご自身が解説なさってわかりやすく譬えなども用いながら、その公生涯においてお教えなさったのでした。
私たちの皮袋は、固くなって柔軟性を失っていないでしょうか。
あるいは柔軟であることが良いとしてしまって、変えてはならない部分さえも「まあまあなあなあ」適当にいい加減にしてしまうことを正当化してはいないでしょうか。
意見の違う人を「律法主義者、パリサイ人、古い皮袋みたいだね」と
批判してはいないでしょうか。自己吟味しなくてはならないと思います。
マラナ・タ
新しい教え・・・として聖書に出て来るみ言葉は、
古くからの聖書の預言である教えが、忘れ去られたかのようになっていたので、
強調するために「新しい」と言われているのです。
そこをサタンは利用して嘘をつきます。
「イエスが現れたので、旧約聖書の教えは、古くなって破棄されたのさ。
旧約聖書に書かれていることは、神話、伝説、物語。
そして、天地創造は神話である物語さ、進化論がほんとうさ。
一週間、七日で、天地創造されて完成したなんて、作り話だよ。
世界が完成して神様が第七日目を安息日としてお定めになった?
労働したら疲れる神様なんだよね~。
イエスが復活したから、安息日は第七日から第一日に変更されたのさ。
聖書に書かれてないって?そんなの関係ないよ。
イエスの復活を信じているだろう?だったら、自動的に変更しちまったのさ」
サタンの嘘に騙されないように、聖霊の導きに従って聖書を読みましょう。
サタンは、人間よりもはるかに賢いのです。