ごきげんよう!さわこです

 

マルコ2章18節から20節に断食について出てきます。

 断食について 

バイブルナビの注釈です。紫の文字

 

断食は、謙遜と罪への後悔を表わすしるしであり、

また、心を清らかにし、精神を油断のないように保つという内面の訓練でもあります。

 

断食は、食べ物を肉体から取り出して空にし、

悔い改めは罪を人生から取り出して空にする

 

イエスの弟子たちは、イエスが共におられたので、断食してイエスの到来に備える必要はありませんでした。

イエスもまた、断食を強いることはなさいませんでしたが、ご自身は40日間断食をなさいました。(マタイ4:2)

正当な動機のある断食は重要視なさったのです。

 

自分たちが如何にも徳が高いかのように、神に忠実であるかのように、人に見せびらかすための断食ならば、断食の本来の意味を歪曲していることになるとイエスは説明なさったのでした。

 

私が座禅断食に行って来たという話をした時、茶の湯の師匠は

「キリスト教での修行の一つですか?」と訊ねたのでした。

「いいえ、私の教会では、断食の修行はないのですが、なさりたい方は個人的にやっていると思います。イエス様も断食をなさいましたから」と、断食は、謙遜と罪への後悔を表わすしるしであり、また、心を清らかにし、精神を油断のないように保つという内面の訓練でもありますという断食の意味することを思いつつお返事したことでした。

 

マラナ・タ

私が断食に関心を持ったのは、マクロビオティックをやっていた時でした。

マクロビ関係の本に出て来る断食に、とても憧れてしまいました。

一人で、何回か試みたのですが、家族の食事を作っていると、どうしても食欲という誘惑に負けてしまいます。

また、中学、高校、大学時代、仏教に関心があり座禅にも憧れていました。

 

そういう私に「座禅断食に興味ある?一緒に行かない?」

と誘ってくれた友がいました。

二つ返事で、快諾。彼女は、

「座禅断食って誘っても乗ってくる人っていないのよ。ふとあなたを思ったの。

あなたなら、好きそうに思えて・・・ふふふ」

 

聖霊様が彼女にささやいたのですね。

「さわこ、さわこ、きっと行くよ」って。