神よ、私の神よ。
あらゆる高ぶりを、私に示し、知らしめ、私の心から取り去ってください。
深い謙遜の真理を、私のうちに 目覚めさせてください。
そして、主の光にあずかり、聖霊に満たされることを可能にしてください。
私の日々の祈りです。
家中に、書いて貼ってあります。
この祈りは、マーレーの書「謙遜」の中から、自分の言葉に直しました。
四半世紀以上も昔、安息日礼拝にあずかるようになってから、
「主の祈り」を早く覚えたくて、家中に貼って覚えました。
その時のようにやっています。
一か月間はこの祈りを、寝ても覚めても、歩く時も座る時も
祈っていなくてはならない私です。
主の光にあずかり、聖霊に満たされるためには、
条件があるとあらためて気づいたのでした。
「求めよ、さらば与えられん」
と言って、聖霊を求めたならば、主の光のうちを歩むことを求めたならば、
自分のうちに潜む高ぶりを示され、深い謙遜の真理に目覚めさせられ、
悔い改めを迫られるのです。
悔い改めていると思っていても、
その悔い改めたるや、なんと薄っぺらであったことか!
そのことにも、気づかずに、謙遜になった気分で「私は罪人」と
連発している隠れ高慢であったのです。
神よ、私の神よ。
あらゆる高ぶりを、私に示し、知らしめ、私の心から取り去ってください。
深い謙遜の真理を、私のうちに 目覚めさせてください。
そして、主の光にあずかり、聖霊に満たされることを可能にしてください。