ごきげんよう!さわこです。
デパートの最上階の大食堂の窓際の席。
街の賑わいが見渡せ、遠くには青い山なみ。
その手前に桃色に染まっているのは、さくら、サクラ、桜。
母がミシンを踏んで縫ってくれた、新しいおろしたてのジャンバースカートを着て、私は
うきうきしていました。年に何回もないお楽しみの出来事です。
ふざけていたわけでも騒いでいたわけでもありませんが、心が浮きだっていたのは確かでした。私はあろうことか、テーブルの上の水の入ったコップを倒してしまったのです。
流れ出た液体がテーブルに広がりました。
「なんてあなたは落ち着きがないの!」と母の叱責が飛んで来ると思いました。私は咄嗟にテーブルから流れ落ちる液体を両手で受け止めようとしました。このままでは新しいお出かけ用のジャンバースカートが濡れてしまいます。このことも母を怒らせると思いました。人ごみの中で粗相をしてしまったこと、人前で母に叱られるであろうこと。
小学生の私のプライドはズタズタになっていました。
もうお子様ランチなど食べたくない・・・一気に食欲も失せてしまったのでした。
その時、母の手が伸びて来て、母のハンカチがその水をせき止め拭いとってくれました
「あっ、このタオルのハンカチ・・・」
それは、私たちが小さかった頃、お出かけ用に母の大きなバッグにいつも入れられていたおしゃれな上等のタオルでした。そのタオルハンカチはたちまちのうちにこぼした水を吸い取ってくれたのでした。
今朝、デボーションのためのメッセージ“「こぼれる」イザヤ書40:12 だれが、手のひらで水を量…ったのか。”を読んだ時、私のうちに小学時代の苦い思い出の一コマがよみがえりました。
コップを倒した瞬間の出来事は苦い思い出でした。母に人前で叱られる・・・と思い込んでじたばたしてしまった記憶の方が鮮明だったのです。叱られるとは、私の一方的な思い込みに過ぎず、結末は、母が私の失敗を解決してくれたのでした。
「もう、必要ないと思っていたけれど、このタオルハンカチ、役に立ったのね。なつかしいわ。あなたたちが小さい時、このハンカチの出番の多かったこと」と言って、母は私たちの小さい頃の思い出のあれこれ話してくれたのでした。
その日のお子様ランチの美味しかったこと。
そのメッセージはこのように続きます。
私たちの弱い手はどんなに努力してもすべてを管理しきれないのです。いつも何かが私の指の間をすり抜けて流れ落ち、結局私たちは途方に暮れてしまいます。完璧に対処することなどできないのです。しかし、神の御手は、海も川も湖も地球上のすべての水を手のひらで量り掬えるほど大きいのです。私たちの手はその大きさに応じた分だけを掬えるように設計されているのですから、それ以上する必要はありません。不安で途方に暮れてしまうときこそ神の御手にゆだねましょう。
主よ、ともすれば、私たちは自分で何とかしようとしてしまいますが、そういうときこそ、必要も不安も 完全なあなたの御手にゆだねられるようにお助けください。
マラナ・タ
自分で何とかしなくては・・・と思っている自分に気づいたとき、
それは神様が「わたしのことを忘れていないか」という招きだと気づくことができますように、と祈りました。