ごきげんよう! さわこです
昨日 2015年3月26日分級 を紹介します。

His storyとは、彼の物語。Heとは「彼」、His とは「彼の」という意味ですね。
彼とは だれ? どなたの物語?
英語でhistoryとは歴史のことです。
つまり、イエス様の物語が歴史ということになりますね。

旧約聖書の幕屋は、キリストについて、また、キリストの御業について語っています。
出エジプト記25-26章とヘブライ人への手紙9章は、キリストとその御業の物語を記しています。

① 神はモーセに幕屋を造るようにこと細かに指示なさいました。
「わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい」(出エジプト25:9)

「聖書通読をしていると、おもしろくないなあ、と斜め読みしてしまいたい箇所がありますよね。私はそうだったわ。この幕屋の所もそうじゃない?」と話しますと、「そう、そう」と反応のよい中学生がいます(笑)
「でもねえ、何回も通読を繰り返していると、次第にいろんなことが感じられるようになってきたの。先ず、こと細かに細部に至るまで神様が指示なさったってことは、神様は私たちの、どんな小さな問題にも関心を寄せてくださっていることの表れじゃないかしらってね。 また、建築家、ファッションデザイナー、宝石に関わる職種の人たちは、この幕屋の造りについては、興味津々かもね。」「そうか!」という表情になった子供を見ると、うれしくなってきます。


②幕屋に入り口が一つしかないのは、神に通じる道はひとつだからです。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)。
「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えてくるものは盗人であり、強盗である。」(ヨハネ10:1)


真実の神に通じる道は、イエス・キリストただお一人です。

♪だれでも、主イエスに よらないでは 父のみもとに 行くことはできない。
主イエスは 道・真理・いのちです。 主イエスは道・真理・いのちです。♪
この讃美をおささげするために、子どもたちと聖歌隊チーム「ビビッド」を作りました。
ビビッドは、いきいきしたという意味ですが、信仰的には「主は生きておられる」と理解しています。


③ 至聖所と人々を隔てる垂れ幕は、人の罪が神と人を隔てることを示します。
「・・・イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け・・・」(マタイ27:50、51)

「この時間は何時だったと思う?聖書にきちんと書かれているよ」と話して確認してもらいました。
「三時だ!十二時かと思っていたけど、三時だった」と子供。

④ 至聖所の中のあかしの箱は、神の臨在を象徴します。
「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。」(出エジプト25:8)

神様は私たちと一緒に住んでくださっているのね。
私たちの心にイエス様に住んでいただいていますか?」「はい」と子供たち。

⑤ 大祭司は、後から来られる偉大な祭司、すなわちイエスの前触れです。
血のいけにえは、完全ないけにえであるイエスの象徴です。

「雄山羊と若い雄牛の血によらないでご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブ9:12)
「・・・キリストが死んでくださったので、召された者たちがすでに約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。」(ヘブライ9:15)。


この物語は、荒唐無稽のフィクションではありません。ノンフィクションです。史実です。
そして、神様は、この物語の一部になるようにと私たちを招いておられます。
あなたは、聖書のこの物語、この史実を信じていますか?
イエス様を自分の救い主と信じていますか?


旧約聖書の出エジプト記と新約聖書の福音書、使徒言行録、ヘブライ書がつながりましたね。
イエス様の十字架で救いが完成されたから、旧約聖書は古くなった、不要になった、そういうことじゃないのよ。
旧約・新約はふたつで一つなのよ。
新約の時代になったから、十戒は不要になったと思いますか?
「いいえ!必要です!」とはっきり答えてくれる子供たち。

引いた聖句は、それぞれ、子供たちに輪読してもらって、自分たちの聖書に赤のラインを引いてもらいました。


この日の分級は中学生3人と小学生2人でした。

マラナ・タ
一時間の分級ですが、あっという間に過ぎました。
以前は、子供のクラスは、半分はゲームタイム、あとの半分が分級でしたが、
聖書の学びにもっと時間がほしいということで、子供たちもそれを希望してくれて、
二月から、一時間の聖書研究となりました。

今の子どもたちは、4月には中学生、高校生。
私は、新しい3年、4年生の子供たちを受け持つことになります。

彼らにあわせた指導方法を考えなくてはなりません。
神様に知恵をお示しくださいと祈っています。