ごきげんよう! さわこです。
第5章 「聖霊と清め」をまとめました。
・ 聖霊の清めのわざについては、キリスト教研究のなかで、最もおろそかにされていることのひとつであり、また誤解されていることである。
・ 心が清くされるのは、聖霊(みたま)によってである。
・ 聖霊(みたま)によって、信者は神の性質にあずかるものとなる。
・ 聖霊の清めの働きは、聖霊の最大の働きと言われる。
・ 改心して神に立ち帰り、キリストを救い主と信じた者の心を、聖霊はきよめてくださる。
「キリストの宗教は、ただ罪がゆるされるだけでなく、罪が取り去られ、生活は聖霊に満たされるのです」レビューヘラルド1914年11月 12号
罪より清める聖霊の働きを理解するためには―
罪を知ること(罪の定義)
罪に打ち勝つ方法を学ぶこと
罪の定義
・ 罪は不法である(ヨハネ第一3:4)
・ すべて信仰によらないことは罪である(ローマ14:23)
・ 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである(ヨハネ16:9)
罪はどのようにして始まったのか?
イザヤ14:13,14「・・・いと高き神のようになろう」
ルシファーは、自分が神のようになろうとした。エバもルシファーの思想に影響された。
「この実を食べると神のようになる」とサタンはエバに言った。
そしてエバはその言葉を信じた。
罪のもとは、神以外のものに頼ること
自己に頼る、人に頼る、物に頼る。
・神の律法とは、神に頼ることであり、自己に頼らないこと。
人は何かに頼らなくては生きていけないので、
神に頼らないならば、他の何かに頼ることとなる。
・神を離れて、自己を神としようとするとき、
必然的に、律法全体を犯す結果となる。
・神より離れることが罪!・・・神より離れた結果、戒めを破ることになる。
ヨハネ第一3:4「罪を犯す者は皆、法にも背くのです」(新共同訳)
この「にも」に注目すること !! 神より、離れることで法に背く結果となる。
私たちが罪びとになるのはいつから?
・ 詩編58:3
「悪しき者は胎を出た時からそむき去り、生まれ出た時から、過ちを犯し偽りを語る」
・ 詩編51:5
「見よ、わたしは不義に中に生まれました。私の母は、罪のうちにわたしを身ごもりました」
・「大きい罪から、小さい罪まで、すべての罪は聖霊の力により克服できる」
レビューアンドヘラルド1899年9月19日
・ ヨハネ3章より
「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」とイエスはニコデモに言われた。
◎ キリストとの関係は、毎日キリストと交わり、自分で自分を支配しようとしないで、毎日イエスに支配して頂くように、自分をキリストにまかせることです。
◎ 罪というのは、神より分離し、自己に頼ることです。
◎ 私たちの為すべきことは、キリストと共にいることです。
◎ 私たちの為すべき分は、キリストの生涯、特にその最後の部分を冥想して過ごすことです。
キリストを見ることによって変えられるのです。
毎日、キリストを求める生活は、いつから始まるか?
改心の時から!
私たちは何かsomethingを求めて生きている。
心の空白を埋めてくれる何かを求めている。
その何かが、イエス・キリストに他ならないとわかって、毎日求めるならば「改心」を与えられる。
聖霊による清めの働きは、改心の時に始まる。
改心とは、神に立ち帰り、神に自分を献げること、「献身」
献身とは、自分自身を献げること。
つまり、神に頼るようになること。その状態が持続すること。
神に自分自身をささげた状態にとどまっていること。
◎ クリスチャン生活の成長は、常に神に自分をささげていることにある!
救いの確証を持つためには
日ごとにキリストのもとに行き、聖書を読み、祈り、キリストが私の生活を支配してくださるように求めること!
毎日、神と交わり、キリストに自分をささげるクリスチャンでも、キリストから目を離し、自分に頼りはじめることがある。
その時には、気落ちしたり、自分を責めたり、自分を貶めたりするのではなく、自分の過ちを認めて、イエスに目を向けよう。
キリストのゆるしと力を求めないのが敗北の元となる。
あやまったからという事実によって神の愛は変わらない!
失望することはない!!!
熱心に祈り、さらに深く信じるチャンスを与えられたのである。
マラナ・タ
愛する主よ、お願いします。
私が毎日、キリスト様との関係を保ち、交わり続け、日ごとに私の意志と生活を神様におささげできるように導いてください。できるだけ早く、完全な献身の時機に導いてください。
第5章 「聖霊と清め」をまとめました。
・ 聖霊の清めのわざについては、キリスト教研究のなかで、最もおろそかにされていることのひとつであり、また誤解されていることである。
・ 心が清くされるのは、聖霊(みたま)によってである。
・ 聖霊(みたま)によって、信者は神の性質にあずかるものとなる。
・ 聖霊の清めの働きは、聖霊の最大の働きと言われる。
・ 改心して神に立ち帰り、キリストを救い主と信じた者の心を、聖霊はきよめてくださる。
「キリストの宗教は、ただ罪がゆるされるだけでなく、罪が取り去られ、生活は聖霊に満たされるのです」レビューヘラルド1914年11月 12号
罪より清める聖霊の働きを理解するためには―
罪を知ること(罪の定義)
罪に打ち勝つ方法を学ぶこと
罪の定義
・ 罪は不法である(ヨハネ第一3:4)
・ すべて信仰によらないことは罪である(ローマ14:23)
・ 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである(ヨハネ16:9)
罪はどのようにして始まったのか?
イザヤ14:13,14「・・・いと高き神のようになろう」
ルシファーは、自分が神のようになろうとした。エバもルシファーの思想に影響された。
「この実を食べると神のようになる」とサタンはエバに言った。
そしてエバはその言葉を信じた。
罪のもとは、神以外のものに頼ること
自己に頼る、人に頼る、物に頼る。
・神の律法とは、神に頼ることであり、自己に頼らないこと。
人は何かに頼らなくては生きていけないので、
神に頼らないならば、他の何かに頼ることとなる。
・神を離れて、自己を神としようとするとき、
必然的に、律法全体を犯す結果となる。
・神より離れることが罪!・・・神より離れた結果、戒めを破ることになる。
ヨハネ第一3:4「罪を犯す者は皆、法にも背くのです」(新共同訳)
この「にも」に注目すること !! 神より、離れることで法に背く結果となる。
私たちが罪びとになるのはいつから?
・ 詩編58:3
「悪しき者は胎を出た時からそむき去り、生まれ出た時から、過ちを犯し偽りを語る」
・ 詩編51:5
「見よ、わたしは不義に中に生まれました。私の母は、罪のうちにわたしを身ごもりました」
・「大きい罪から、小さい罪まで、すべての罪は聖霊の力により克服できる」
レビューアンドヘラルド1899年9月19日
・ ヨハネ3章より
「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」とイエスはニコデモに言われた。
◎ キリストとの関係は、毎日キリストと交わり、自分で自分を支配しようとしないで、毎日イエスに支配して頂くように、自分をキリストにまかせることです。
◎ 罪というのは、神より分離し、自己に頼ることです。
◎ 私たちの為すべきことは、キリストと共にいることです。
◎ 私たちの為すべき分は、キリストの生涯、特にその最後の部分を冥想して過ごすことです。
キリストを見ることによって変えられるのです。
毎日、キリストを求める生活は、いつから始まるか?
改心の時から!
私たちは何かsomethingを求めて生きている。
心の空白を埋めてくれる何かを求めている。
その何かが、イエス・キリストに他ならないとわかって、毎日求めるならば「改心」を与えられる。
聖霊による清めの働きは、改心の時に始まる。
改心とは、神に立ち帰り、神に自分を献げること、「献身」
献身とは、自分自身を献げること。
つまり、神に頼るようになること。その状態が持続すること。
神に自分自身をささげた状態にとどまっていること。
◎ クリスチャン生活の成長は、常に神に自分をささげていることにある!
救いの確証を持つためには
日ごとにキリストのもとに行き、聖書を読み、祈り、キリストが私の生活を支配してくださるように求めること!
毎日、神と交わり、キリストに自分をささげるクリスチャンでも、キリストから目を離し、自分に頼りはじめることがある。
その時には、気落ちしたり、自分を責めたり、自分を貶めたりするのではなく、自分の過ちを認めて、イエスに目を向けよう。
キリストのゆるしと力を求めないのが敗北の元となる。
あやまったからという事実によって神の愛は変わらない!
失望することはない!!!
熱心に祈り、さらに深く信じるチャンスを与えられたのである。
マラナ・タ
愛する主よ、お願いします。
私が毎日、キリスト様との関係を保ち、交わり続け、日ごとに私の意志と生活を神様におささげできるように導いてください。できるだけ早く、完全な献身の時機に導いてください。