ごきげんよう! さわこです
漢字と聖書の関連書をもう一冊読みました。
「漢字に秘められた聖書物語」
マルコーシュ・パブリケーション発行
テモシー・ボイル著 1994年2月15日初版発行
著者は今も日本基督教団の宣教師として働いておられるアメリカ人です。
前回、読んだC・H・カン& エセル・R・ネルソン共著「旧約聖書は漢字で書かれていた」よりも後で執筆されているようでこの本からの引用もあった。
内容的には重なる部分も多いけれど、「漢字に秘められた聖書物語」の方が取り上げた漢字の数が多い。
さて、古代中国で漢字が初めて書かれたのはいつごろか?
紀元前2500年から2000年くらい前のようだ。正確なことは分かっていない。
これからの考古学の発見によって徐々にわかってくることだろう。
聖書史、中国史、日本史 簡単に比較対照してみれば・・・
ざっと中国の古代史を・・・
BC2100年 夏
BC1600年 殷(商)
BC1027年 周 ※1024年インドで釈迦誕生
BC770年 春秋時代 ※BC6世紀老子誕生 552年孔子誕生
BC403年 戦国時代
BC221年 秦・・・・中国統一
BC202年 前漢
AD 27年 後漢 ※AD2年仏教伝来 ※倭の奴の国として日本が中国史に登場
AD265年 晋
AD304~420年 五胡十六国時代 ※372年孟子誕生
AD439~581年 南北朝時代
AD589年 隋 ※聖徳太子、遣隋使として小野妹子を派遣
AD618年 唐 ※日本から遣唐使が派遣 阿倍仲麻呂 吉備真備 空海 最澄など
ざっと聖書の歴史を・・・
BC4000年? 創造年
BC2344年? ノアの洪水
BC2243年? バベルの塔? ※→東へ
BC1446年 出エジプト
BC1010年 ダビデ王となる
BC930年 南王国ユダ、北王国イスラエルに分裂
BC722年 イスラエル、アッシリヤにより滅亡 失われた十部族 ※→東へ
BC586年 ユダ、バビロンにより滅亡
BC538年 バビロンより帰還した民、ペルシャに留まった民、
離散していった民 ※→東へ
AD70年 エルサレム、ローマ帝国により陥落 ※→東へ
中国の歴史はBC2500年(今から4500年ほど前に)始まった?
バベルの塔が聖書暦では1757年、BC2243年?
バベルの塔が崩れて人々は四方に離散していった。
その中で東に向かって中国に到着したグループもあったことだろう。
そうした人々によって、中国の歴史は幕を開けたのではないか。
上帝(創造主、贖い主)のこと、罪が入ったこと、礼拝の儀式、天地創造の記録、洪水、バベルの塔と離散の記録、こうした人類の歴史を古代文字(象形文字)によって後世に伝えようとしたことが漢字の起こりではないか。
古代中国の学者が創世記の物語に元づいて漢字をつくっていったのか?
古代中国と中近東との交流があったのか?
中国にそもそも創世記と同じ内容の言い伝えがあったのか?
どれも、今の学問では証明しきれないことなのだ。
いまだ、考古学的には証拠がそろっているわけでないのだが、これだけ多くの字の組み合わせられた意味が聖書のメッセージとぴったり合うというのは不思議なことではないだろうか。
「旧約聖書は漢字で書かれていた」の著者も「漢字に秘められた聖書物語」の著者も、あくまでも仮説に過ぎないのだが、と強調しながらも、その仮説に信念を持っている。
漢字の構成を創世記の記録で説明できるという点に、著者も読者も驚きと納得の声をあげずにはいられないのではないか。
漢字を形成していく歴史は長く、幾多の時代を経て、数多くの人が関わってきたのだから、大変複雑なプロセスを経て、今の漢字があるのである。
今の日本に置いても、戦前までの漢字は当用漢字として修正され簡素化されてしまった。
中国に至っては、その簡素化は日本の比ではない。
世界中のあらゆる古代文明の絵文字は、その民族の宗教観をあらわすために祭司たちによって造られて来ている。
文字の発生と成り立ちと、宗教は切り離すことができない。
著者は、このように言っている。
大半の漢字の原始字形に近い金文や契文の字形は、まだ発見されておらず、限られた中から、果たしてどの原始字形が、今の現代の字に変わっていったのか不明な点も多い。
こういうわけで、資料が乏しいので、4000年以上も前の中国人の学者(祭司)が絵文字をつくりはじめた時、何に基づいていたのか、確信を持って言えず、想像、推測、仮説の域を出ないのである。
考古学的な証拠がないかぎり、そうした仮説は、学問とは言えないと拒絶する識者たちもいるだろう。
しかし、新しい発見があるたびに、聖書が神話・伝説の物語ではなかったことが証明されているのだ。
科学も学問も、聖書の後を追いかけているのが、現状ではないだろうか。
彼らのこうした研究が、単なる思い付きであるかを別として、聖書に記録された真理を説明できる漢字が123字もあったということに私は驚きを禁じ得ない。
創世記の記録を、真理を、漢字を分解して解釈することができるのである。
マラナ・タ
いやはや、この20日間、夏休みの自由研究レポートを書いたような爽快感です(笑)
学生時代にもどりた~い!
追記
中国は1921年に中華民国となり4400年ほど続いた皇帝制度の幕が閉じられた。
1911年12月22日冬至の朝、最後の燔祭が上帝にささげられた。
なんと20世紀までつづいた上帝崇拝の儀式は、中国文明の始まりと共にあったのだ。
儒教、道教、仏教は、ずっと後の時代に出てきたのである。
不思議に思うのは、多民族国家である中国が、新しい国が興り、その都度皇帝が変わっても、上帝への燔祭の儀式が続いていたことである。
中国は新しい覇者の登場とともに、それまでの国の歴史や文化は破壊され埋められてしまうのだが、どの国家になろうと、どの皇帝になろうと、儒教や道教がその時の皇帝に重んじられるようになっても、上帝崇拝儀式が続いていたことである。
形骸化してしまって、単なる儀式になっていたのかもしれないのだが、驚くべきことだ。
各時代の皇帝は、上帝を祭る大祭司であったのだ。
日本に置いても、天皇家が大祭司であるように。
中華民国はやがて、中華人民共和国(中共)となり、蒋介石は台湾に逃れて台湾が中華民国と呼ばれた時代もあった。
今は、かつて中華民国と呼ばれた国は、昔からの台湾の名称にもどった。
中華人民共和国は、かつては中共と呼んだのだが、今では中国と呼ばれる。
正式名称はどうなんだろう・・・
漢字と聖書の関連書をもう一冊読みました。
「漢字に秘められた聖書物語」
マルコーシュ・パブリケーション発行
テモシー・ボイル著 1994年2月15日初版発行
著者は今も日本基督教団の宣教師として働いておられるアメリカ人です。
前回、読んだC・H・カン& エセル・R・ネルソン共著「旧約聖書は漢字で書かれていた」よりも後で執筆されているようでこの本からの引用もあった。
内容的には重なる部分も多いけれど、「漢字に秘められた聖書物語」の方が取り上げた漢字の数が多い。
さて、古代中国で漢字が初めて書かれたのはいつごろか?
紀元前2500年から2000年くらい前のようだ。正確なことは分かっていない。
これからの考古学の発見によって徐々にわかってくることだろう。
聖書史、中国史、日本史 簡単に比較対照してみれば・・・
ざっと中国の古代史を・・・
BC2100年 夏
BC1600年 殷(商)
BC1027年 周 ※1024年インドで釈迦誕生
BC770年 春秋時代 ※BC6世紀老子誕生 552年孔子誕生
BC403年 戦国時代
BC221年 秦・・・・中国統一
BC202年 前漢
AD 27年 後漢 ※AD2年仏教伝来 ※倭の奴の国として日本が中国史に登場
AD265年 晋
AD304~420年 五胡十六国時代 ※372年孟子誕生
AD439~581年 南北朝時代
AD589年 隋 ※聖徳太子、遣隋使として小野妹子を派遣
AD618年 唐 ※日本から遣唐使が派遣 阿倍仲麻呂 吉備真備 空海 最澄など
ざっと聖書の歴史を・・・
BC4000年? 創造年
BC2344年? ノアの洪水
BC2243年? バベルの塔? ※→東へ
BC1446年 出エジプト
BC1010年 ダビデ王となる
BC930年 南王国ユダ、北王国イスラエルに分裂
BC722年 イスラエル、アッシリヤにより滅亡 失われた十部族 ※→東へ
BC586年 ユダ、バビロンにより滅亡
BC538年 バビロンより帰還した民、ペルシャに留まった民、
離散していった民 ※→東へ
AD70年 エルサレム、ローマ帝国により陥落 ※→東へ
中国の歴史はBC2500年(今から4500年ほど前に)始まった?
バベルの塔が聖書暦では1757年、BC2243年?
バベルの塔が崩れて人々は四方に離散していった。
その中で東に向かって中国に到着したグループもあったことだろう。
そうした人々によって、中国の歴史は幕を開けたのではないか。
上帝(創造主、贖い主)のこと、罪が入ったこと、礼拝の儀式、天地創造の記録、洪水、バベルの塔と離散の記録、こうした人類の歴史を古代文字(象形文字)によって後世に伝えようとしたことが漢字の起こりではないか。
古代中国の学者が創世記の物語に元づいて漢字をつくっていったのか?
古代中国と中近東との交流があったのか?
中国にそもそも創世記と同じ内容の言い伝えがあったのか?
どれも、今の学問では証明しきれないことなのだ。
いまだ、考古学的には証拠がそろっているわけでないのだが、これだけ多くの字の組み合わせられた意味が聖書のメッセージとぴったり合うというのは不思議なことではないだろうか。
「旧約聖書は漢字で書かれていた」の著者も「漢字に秘められた聖書物語」の著者も、あくまでも仮説に過ぎないのだが、と強調しながらも、その仮説に信念を持っている。
漢字の構成を創世記の記録で説明できるという点に、著者も読者も驚きと納得の声をあげずにはいられないのではないか。
漢字を形成していく歴史は長く、幾多の時代を経て、数多くの人が関わってきたのだから、大変複雑なプロセスを経て、今の漢字があるのである。
今の日本に置いても、戦前までの漢字は当用漢字として修正され簡素化されてしまった。
中国に至っては、その簡素化は日本の比ではない。
世界中のあらゆる古代文明の絵文字は、その民族の宗教観をあらわすために祭司たちによって造られて来ている。
文字の発生と成り立ちと、宗教は切り離すことができない。
著者は、このように言っている。
大半の漢字の原始字形に近い金文や契文の字形は、まだ発見されておらず、限られた中から、果たしてどの原始字形が、今の現代の字に変わっていったのか不明な点も多い。
こういうわけで、資料が乏しいので、4000年以上も前の中国人の学者(祭司)が絵文字をつくりはじめた時、何に基づいていたのか、確信を持って言えず、想像、推測、仮説の域を出ないのである。
考古学的な証拠がないかぎり、そうした仮説は、学問とは言えないと拒絶する識者たちもいるだろう。
しかし、新しい発見があるたびに、聖書が神話・伝説の物語ではなかったことが証明されているのだ。
科学も学問も、聖書の後を追いかけているのが、現状ではないだろうか。
彼らのこうした研究が、単なる思い付きであるかを別として、聖書に記録された真理を説明できる漢字が123字もあったということに私は驚きを禁じ得ない。
創世記の記録を、真理を、漢字を分解して解釈することができるのである。
マラナ・タ
いやはや、この20日間、夏休みの自由研究レポートを書いたような爽快感です(笑)
学生時代にもどりた~い!
追記
中国は1921年に中華民国となり4400年ほど続いた皇帝制度の幕が閉じられた。
1911年12月22日冬至の朝、最後の燔祭が上帝にささげられた。
なんと20世紀までつづいた上帝崇拝の儀式は、中国文明の始まりと共にあったのだ。
儒教、道教、仏教は、ずっと後の時代に出てきたのである。
不思議に思うのは、多民族国家である中国が、新しい国が興り、その都度皇帝が変わっても、上帝への燔祭の儀式が続いていたことである。
中国は新しい覇者の登場とともに、それまでの国の歴史や文化は破壊され埋められてしまうのだが、どの国家になろうと、どの皇帝になろうと、儒教や道教がその時の皇帝に重んじられるようになっても、上帝崇拝儀式が続いていたことである。
形骸化してしまって、単なる儀式になっていたのかもしれないのだが、驚くべきことだ。
各時代の皇帝は、上帝を祭る大祭司であったのだ。
日本に置いても、天皇家が大祭司であるように。
中華民国はやがて、中華人民共和国(中共)となり、蒋介石は台湾に逃れて台湾が中華民国と呼ばれた時代もあった。
今は、かつて中華民国と呼ばれた国は、昔からの台湾の名称にもどった。
中華人民共和国は、かつては中共と呼んだのだが、今では中国と呼ばれる。
正式名称はどうなんだろう・・・