ごきげんよう! さわこです。


十人のおとめ マタイ25;1-13      2002,12,1(日)

 このおとめの譬え話を聞くたびに一つの混乱が生じるのですとある友が言いました。

困っているおとめたちに、油を分けてあげることはクリスチャンとして為すべき親切ではありませんか?
イエス様は隣人に親切であるようにと教えてこられました。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はないといわれました。
賢い5人のおとめはクリスチャンを現わしているのなら、何故このような突き放すような言葉を口にできるのでしょう?
また、神様は独り子を信じる者が一人も滅ばないことを願っているのではありませんか?
友のとまどいが、私にはこのように聞こえてきました。

教団から発行されている「2002年度4期の聖書研究ガイド」にはこのようにあります。

油とは聖霊。油の供給は個人的なものであり、それは移譲することのできないものです。
「あなたがたは時を知らないのだから、つねに用意をしていなければならない。」
用意の本質とは神を「知る」ことです。

神についての事実を知ることではなく、神との関係を通して神を知ることです。
つまり、神さまとの密接な関係にあり続けるためには聖霊に満たされ続けていなければならない。

私はそう理解するのです。
神様との関係、その個人的体験を隣人に知識として伝えることはできても、体験そのものを譲ることはできないのです。

 バークレーの注解書にはこのように書かれています。

 この話は不自然なつくり話のように聞こえるが、パレスチナによくあったことで、今も実際に行われていることである。
パレスチナでは結婚を盛大に祝いその祝宴は一週間にも及ぶ。
愚かなおとめたちが用意がなかったために参列できなかったのは、この一週間の祝いである。
パレスチナの中流階級の結婚式では、花婿は花嫁のつきそいが眠っている間に不意を討とうとして、真夜中にくることがあるが、その時はいつであるかわからないので、いつでも花婿を迎える用意をしていなければならない。

ここで覚えていなければならないのは、誰も暗くなってからあかりを持たずに外に出てはならないこと、また花婿が到着したら戸が閉まり、遅れてきたものは結婚式に参列できない、ということである。

これはつくり話ではなく、パレスチナの町の生活の一段面である。
この話は、直接にはユダヤ人に向けられたものである。
ユダヤ人は選民であり、彼らの歴史は神の子を迎える準備のためのものであった。
彼らはイエスが来られた時に迎え入れる準備ができているはずであったのに、その準備をしないばかりか、神の子を締め出してしまった。


ここには、用意を怠ったユダヤ人の悲劇が書かれている。
しかしここには少なくとも二つの普遍的な意味がある。

① 最後になって間に合わせることができないものがある。
学生は試験の日になって勉強してももう遅い。仕事を与えられてから、それに必要な技術や品性を身につけようとしても、遅すぎる。神にたいしても同じことがいえる。
いつまでも準備を怠っていると、いざというときに神に出会うことができなくなる。

② 人から借りることができないものがある。
神との関係は自分が持つべきものである。
品性も、自分が身につけているべきもので借用はできない。
われわれは他人が蓄積した霊的な資本に依存して生活することはできない。
自分が持っていなければ、人から借りられないものがあることを覚えなければならない。


私は、イエス様はこのたとえを話されるときに、隣人愛と自己犠牲をテーマとはなさっていないのだと思います。

「いと小さき者のひとりにしたのは、わたしにしたのだよ」と語るためにこの譬えを出されたのではないのです。

 イエス様はこの譬えを、
「賢いおとめたちは愚かなおとめたちを気の毒に思って、自分たちの用意している油を全部分けてあげました。彼女たちは婚礼の宴席に参加できなくなりましたが、神様はその自己犠牲を喜ばれ、宴席に招き入れられました。」とも、

また「賢いおとめたちは、『どうして友であるあなたたちを見捨ててわたしたちだけが参列することができましょうか。』と言って油を半分わけてあげましたので、祝いの踊りの半ばで灯火は消えてしまい、花婿たちはこの踊りを最後まで見ることができなくなりました。
しかし、花婿は、賢いおとめたちの友を大切に思う心を評価し、その行為は、自分たちの務めを成し遂げえなかったことにも勝るすばらしい愛のあかしであるといってお褒めになりました。」とも語っていないのです。

  隣人愛と自己犠牲をキーワードに、この譬えを読むときわたしたちの心に混乱と不可解さが生じるのではないでしょうか?
 私はこのようなことを思いましたが、どう思われますか?

そして、彼女からは、いたってシンプルな返信がありました。


「なあんだ、私って体重を量るのに身長計を持ってきて量れない!って言っていたのね。
 アーメン」

彼女の鋭い理解力に脱帽!
長々と書いた自分を滑稽に思いながら、彼女の友であることを主に感謝しました。

マラナ・タ

E・Gホワイトの本には、すばらしい解説があります。つづきをお読みください。