ごきげんよう! さわこです

続きの 続きです

通読仲間の信仰の友が貸してくれた本
「通読にチャレンジしよう!」
いのちのことば社 下川友也 著

本の帯にはこう書いてある。
聖書は大好きだけれど 通読が苦手なあなたに!
聖書全巻通読1000回を目指している達人がその秘訣を伝授する


その2で、
聖書を主観で独りよがりの読み方をしていないか・・・との注意があったことについて書きます。

下川先生は、マタイ16:23から説明をしておられます。
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」

人の思いは車を運転している時のように、絶えずハンドルを微修正しないと容易に道を外れていく。
とこのようなわかりやすい表現で書いておられます。


人の情は、人の熱心と善意は、「神のことを思う」思いの目を曇らせることがあると、私は考えています。

人の熱心、善意、情、これらで愛を語るとき、正論に聞こえます。
そして、反論できないのです。

人の平和、人の自由、人権も同様です。

愛、平和、自由、人権遵守
これらを神の思いではなく、人の思いで語ってしまうことって、結構あります。

語っている本人は気づかない。
共感する人々も勿論、気づかない。

それゆえ、ハンドルの微調整ができなくなっていく・・・そうして事故が起きて初めて気づく、そういうことってありませんか?

マラナ・タ
神様、私たちはなんと愚かなのでしょう。
なんと表面的な、皮相的な見方しかできないのでしょう。
自分の情に心地良いことを「神の愛」と取り違えてしまう。
私たちの霊の目を開かせてください。
自分の思いを手放すことができますように。
神の道を歩んでいると思いながら、別の道を歩んでしまっていることから、お守りください。
ハンドルをいつも微修正、微調整できますように。