ごきげんよう! さわこです

続きです

通読仲間の信仰の友が貸してくれた本
「通読にチャレンジしよう!」
いのちのことば社 下川友也 著

本の帯にはこう書いてある。
聖書は大好きだけれど 通読が苦手なあなたに!
聖書全巻通読1000回を目指している達人がその秘訣を伝授する



この本には、聖書通読10の秘訣がある。

①主の祈りをささげてから

②ちょっとしたあいまに

③ゆとりがあってもなくても

④わかってもわからなくても

⑤心がさわぐときにも

⑥1日10章!連続で一気に

⑦旧約、新約のバランスを考えて

⑧いろいろな訳で

⑨二人ではげましあいながら

⑩通読が習慣になるまで



・み言葉に取り組むためには、初めの努力が必要です。
物事に取り組むとき、初めは何でも抵抗が大きいのです。
楽々と、み言葉に親しめることなど、よほど経験を積んだ後でしか言えません。
ランニングにしろ、ピアノのレッスンにしろ、日々の練習、繰り返し、努力なしに上達はありません。
 

・聖書通読に時間をかけすぎると、祈りの時間が削られてしまうのではないでしょうか?
確かにこれも考えられることでしょう。
これについて私は、まずみことばを聴くことから始め、そのあとに祈るべきであると思っています。
十分に聴く中から何を祈るべきかが導かれてくると考えています。
祈りは本来みことばを離れてあるものでなく、聖霊はみことばと共に働くのですから、
まず、みことばを十分に受けとめることによって、人間の側の応答が可能になるのです。


・聖書を主観で読んでいないか、独りよがりの読み方をしていないか、
曲解、誤用していないか・・・こうした危機感を持つことは大切である。



わかってもわからなくても、ゆとりがあってもなくても、心がさわぐときにも、ちょっとしたあいまに読もう、ということなのです。

私の聖書クラスのはなちゃんが、通読をしようとしていますが、むつかしいところはあるし、忙しいし(小学生は忙しいのです(笑))
なかなか、進まないのです。

私も、無理だろうなあ・・・面白くないところがいっぱいあるしなあ、大人の世界のあれこれも出てくるしなあ、小学生には無理だよね・・・と思っていた節もあるんです。

その考え方が間違っていたと気づきました。

わからなくても、いいんです。
とにかく、がんがん読んでいく。
わからないままに読んでいく。

理解できなくても、読んでいく。

例えば、昔の日本の教育。
「論語」など、ただただ素読していましたね。

理解できないものを読んでどうなるの?
理解できないままに読んで、聖書嫌いになったら困るでしょ?

そういうことは杞憂です。

聖書は神様の言葉、です。
主の祈りをまず祈って(はなちゃんは主の祈りを暗誦していますから)
ご聖霊様の助けを祈って、
わからなくても、ただただ、読む。

それで十分だということがわかりました。


では、また、続く