ごきげんよう! さわこです
ミュラーの伝記の本からの続きです。
日本とフィリピンの牧師が教育里親のお世話をしていました。
今から20年ほど前に、その働きを知った教会員たち有志は、協力を申し出ました。
小学校、ハイスクールの学費をまかなえないご家庭の子供のために、1年間の授業料を負担するのです。
そして、数年が経ち、小学校には楽器もないということを知って、私たちは(4人の仲間)ひとつのことにチャレンジしました。
それは使わなくなったメロディオン(鍵盤ハーモニカ)を集めて送るという計画です。
1年たっても一向に集まらないので、生協のチラシに載せてもらいました。
組織力の力というのでしょうか。
あるいは、学齢期の子供を連れた世代の方々に向けての呼びかけが功をなしたのでしょうか。
いいえ、その気づきをお与えくださったのは神様なのです。
恵まれている日本の子供、ないない尽くしのフィリピンの子供、子を持つ母としてできることはないだろうか・・・と日頃からアンテナを張り巡らせている母親たちの心に届いたのでした。
そして瞬く間に集まってきたのです。
どの楽器も、きれいに保管されていたのです。
子供たちも丁寧に使ったでしょうし、使用しなくなってからもご家庭で、いつの日かの出番を待っていたことが伺えました。
さて、発送する段になって、送料がとんでもなく高くかかることがわかったのでした。
どうしよう?
「寄付を募りましょう」「カンパをお願いしましょう」
とあたりまえのごとくに提案されました。
寄付やカンパの対象者は明らかに教会員なのです。
ミュラーの信仰に、刺激を受けていた私は、思わず「待った!」をかけてしまいました。
そして、ミュラーの信仰から学んだことを仲間たちに語りました。
賛成をしてくれ、共に祈りました。
そして、教会発表のときにも、楽器を送る計画が着々と進んでいるということ、送料に関しては、ジョージ・ミュラーの信仰にあやかって、寄付を募るのではなく、教会員の皆さんのお祈りによって協力をしていただきたいのだと、お話しました。
その日の夕方のことでした。
Oさんから、「さわこさんに渡してね」と沢山の硬貨をKさんが預かってきたのです。
硬貨の中には5百玉がたくさん入っていましたから、かなりの金額になりました。
Kさんと私は、お祈りが速やかに聞かれたと喜んだのでした。
これだけのお金があれば、送料の問題は即座に解決します。
「よかったね。Oさんに困っている話をしてごらんなさい。きっとそのように使ってくださいといってくださるよ」
というささやきがありました。
しかし、Oさんはアドラジャパンに一週一食募金を定期的にしてくださっていましたから、もしや・・・と思ったのです。
「そうすることは良くない!」との思いが強く迫ってきたのです。
この思いは間違いなくご聖霊様からだと思いました。
Kさんに一緒に祈っていただきました。
そして、お祈りのあと、私はKさんにこう言いました。
「今からOさんにお礼の電話をします。そして、このお金はどのようにいたしましょうか?とお訊ねします。楽器の送料の話は一切いたしません。」
そして、「このお金はどのように使わせていただきましょうか?」とお訊ねしました。
Oさんは「はい、アドラの一週一食募金です!」と即座に言われました。
「いつも、アドラのためのご協力を感謝いたします。明日、早速、送金いたします」
とお礼を申し上げて電話を切りました。
私はサタンと聖霊様の声を聞いたのでした。
明らかな間違いは、速やかに気づくことができます。
しかし、善意のからんだ出来事は、どうしても自分の都合に合わせて聞いてしまいたくなるのです。
そうした巧妙な罠をサタンは仕掛けてくるのです。
そのことに、気づかせてくださった神様を讃えて感謝をおささげしました。
その後、必要な金額の送料はちゃんと集まったのでした。
そして、楽器をフィリピンに送ることができました。
12年前のできごとですが、今でもその時の状況が昨日のことのように思いだされます。
我が家の玄関先で、ずっしりと重い茶封筒を抱えてK姉妹と祈ったときの緊張感。
このお金を送料に使わせてもらいたい・・・という強い誘惑との戦いでした。
「大争闘」が信徒のレベルで起きていました。
この教育里親の働きは今も続いています。
牧師や教師、看護師になって、仕える人としての人生を歩んでいる卒業生たちもいることを伺いました。
マラナ・タ
神様は身近におられます。
そしてサタンも身近にいるのです。
その声を聞き分け、そして神様の御声に従うことができるように、今日もお守りください。
ミュラーの伝記の本からの続きです。
日本とフィリピンの牧師が教育里親のお世話をしていました。
今から20年ほど前に、その働きを知った教会員たち有志は、協力を申し出ました。
小学校、ハイスクールの学費をまかなえないご家庭の子供のために、1年間の授業料を負担するのです。
そして、数年が経ち、小学校には楽器もないということを知って、私たちは(4人の仲間)ひとつのことにチャレンジしました。
それは使わなくなったメロディオン(鍵盤ハーモニカ)を集めて送るという計画です。
1年たっても一向に集まらないので、生協のチラシに載せてもらいました。
組織力の力というのでしょうか。
あるいは、学齢期の子供を連れた世代の方々に向けての呼びかけが功をなしたのでしょうか。
いいえ、その気づきをお与えくださったのは神様なのです。
恵まれている日本の子供、ないない尽くしのフィリピンの子供、子を持つ母としてできることはないだろうか・・・と日頃からアンテナを張り巡らせている母親たちの心に届いたのでした。
そして瞬く間に集まってきたのです。
どの楽器も、きれいに保管されていたのです。
子供たちも丁寧に使ったでしょうし、使用しなくなってからもご家庭で、いつの日かの出番を待っていたことが伺えました。
さて、発送する段になって、送料がとんでもなく高くかかることがわかったのでした。
どうしよう?
「寄付を募りましょう」「カンパをお願いしましょう」
とあたりまえのごとくに提案されました。
寄付やカンパの対象者は明らかに教会員なのです。
ミュラーの信仰に、刺激を受けていた私は、思わず「待った!」をかけてしまいました。
そして、ミュラーの信仰から学んだことを仲間たちに語りました。
賛成をしてくれ、共に祈りました。
そして、教会発表のときにも、楽器を送る計画が着々と進んでいるということ、送料に関しては、ジョージ・ミュラーの信仰にあやかって、寄付を募るのではなく、教会員の皆さんのお祈りによって協力をしていただきたいのだと、お話しました。
その日の夕方のことでした。
Oさんから、「さわこさんに渡してね」と沢山の硬貨をKさんが預かってきたのです。
硬貨の中には5百玉がたくさん入っていましたから、かなりの金額になりました。
Kさんと私は、お祈りが速やかに聞かれたと喜んだのでした。
これだけのお金があれば、送料の問題は即座に解決します。
「よかったね。Oさんに困っている話をしてごらんなさい。きっとそのように使ってくださいといってくださるよ」
というささやきがありました。
しかし、Oさんはアドラジャパンに一週一食募金を定期的にしてくださっていましたから、もしや・・・と思ったのです。
「そうすることは良くない!」との思いが強く迫ってきたのです。
この思いは間違いなくご聖霊様からだと思いました。
Kさんに一緒に祈っていただきました。
そして、お祈りのあと、私はKさんにこう言いました。
「今からOさんにお礼の電話をします。そして、このお金はどのようにいたしましょうか?とお訊ねします。楽器の送料の話は一切いたしません。」
そして、「このお金はどのように使わせていただきましょうか?」とお訊ねしました。
Oさんは「はい、アドラの一週一食募金です!」と即座に言われました。
「いつも、アドラのためのご協力を感謝いたします。明日、早速、送金いたします」
とお礼を申し上げて電話を切りました。
私はサタンと聖霊様の声を聞いたのでした。
明らかな間違いは、速やかに気づくことができます。
しかし、善意のからんだ出来事は、どうしても自分の都合に合わせて聞いてしまいたくなるのです。
そうした巧妙な罠をサタンは仕掛けてくるのです。
そのことに、気づかせてくださった神様を讃えて感謝をおささげしました。
その後、必要な金額の送料はちゃんと集まったのでした。
そして、楽器をフィリピンに送ることができました。
12年前のできごとですが、今でもその時の状況が昨日のことのように思いだされます。
我が家の玄関先で、ずっしりと重い茶封筒を抱えてK姉妹と祈ったときの緊張感。
このお金を送料に使わせてもらいたい・・・という強い誘惑との戦いでした。
「大争闘」が信徒のレベルで起きていました。
この教育里親の働きは今も続いています。
牧師や教師、看護師になって、仕える人としての人生を歩んでいる卒業生たちもいることを伺いました。
マラナ・タ
神様は身近におられます。
そしてサタンも身近にいるのです。
その声を聞き分け、そして神様の御声に従うことができるように、今日もお守りください。