ごきげんよう! さわこです

二回目の朝祷会について、ようやく、感想をまとめることができました。

イエス様のお言葉を取り次いでくださいましたのはA教会牧師でした。

そのメッセージは、今年はバルメン宣言から80周年の記念の年であることを覚えよう、ということでバルメン宣言の今日的意義についてのお話でした。

バルメン宣言? 初めて聞く宣言でした。

1934年5月ドイツ全国から有志牧師が、バルメンという町に集まって、5つの項目からなる福音宣言をしたのです。

ナチスは民主的、合法的な方法で、選挙によって選ばれました。
当時、最も民主的といわれていたワイマール憲法の中の「緊急事態」を用いて独裁体制を整えていったのです。
ヒットラーの政権当初は、平和的に大成功を収めたかにみえ、ヒットラーは神がドイツに送った救い主として、国民たちは熱狂的に受け入れていたのです。
神のなされた素晴らしいことだとドイツのキリスト者たちは言っていたのです。

そして、教会を尊重すると言いながら、ナチス以外の団体を抑圧するようになり、教会をもナチスの中に組み入れようとしはじめ、教会にもナチスの独裁的な影が忍び寄ってきたのです。
そうした状況の中で、危機を感じた牧師たちがバルメンに集まって宣言をしたのでした。

その宣言の第一項は
「教会は宣教の源として、キリスト以外の、みことばに反するものを一切避ける。」
ヒットラーのナチス政権に反対した宣言でした。

信頼すべき、服従すべき、唯一のお方はキリストであり、ヒットラーには服従しないという宣言でありました。

キリストは唯一の神のみ言葉、それ以外は間違いだと徹底したのです。
徹底的にキリストに立つという宣言です。

ヒットラーに従わないキリスト者の群れが「ドイツ信仰告白教会」でありました。

ここまで、お聞きして、ああ、「バルメン宣言」とはボンヘッファーたちの教会だったのかと合点がいきました。


私は十数年前に柳澤桂子さんを知って、彼女の本を何冊か読んでいました。
その中にボンヘッファーについて書かれていて、関心を持ち、ボンヘッファーの伝記や「共に生きる生活」を読んでいたのでした。

私はA牧師の話を、バルメン宣言の第一項は、十戒の第一条そののままであると思いながら聞きました。

神の言葉を聖書から聴くということ、それが私たちキリスト者にとって最も大切なことである、と強く語られました。

沈黙して、み言葉から、神に聞くという方法の一つとして、カトリックの聖書黙想の伝統について話されました。

聖書の言葉を落ち着いた言葉で朗読したあと、三分の沈黙。
それを八回くりかえすというスタイルです。
その祈祷会に参加されて、自分は心の中でどれほど自分の言葉を話しているかに気づかれたそうなのです。

沈黙してこそ、聞こえてくるものがある。
それをキリスト者は大事にしなければならない。
教会が教会であるために大事なことである。

私は15年近く前、祈りに行き詰って苦しんでいました。
その時に、牧師が一冊の本をくださいました。

アントニー・デ・メロ神父の「何をどう祈るか」です。

「カトリックの本ですから、ところどころ、腑に落ちなかったり、あれ?と思ったりするところもあると思いますよ。そういうところには、疑問を抱いてとどまることはしないで、読み流しなさい。この本の中には、あなたの祈りについて有用なことが書かれていると思います。カトリックはプロテスタント教会より歴史が古い分、祈りの方法についての歴史も知恵も多いのです。学ぶべきは学ばせていただきましょう」

このようなニュアンスの言葉と共に、この本を頂いたのでした。

そして、密室の個人的な祈りに応用してきました。
その後、座禅、白隠禅師さんの内観の法なども知って、神様は日本文化の中に、神様に抱かれ神様に向き合う祈りの基本スタイルを、日本民族にお与えくださっていたように思うようになったのでした。

マラナ・タ
神様は、わたくしが神様との関係を深めるために、一筋の道を用意してくださっていました。そのような神様のご配慮に気づかされたのでした。
主、主、恵みあり、憐れみあり、慈しみはとこしえまで。