ごきげんよう! さわこです!
 
私は心に深く留まったことについては、書かないではいられない。
私のレポートは、どこかに提出発表する当てがあるものでもないのだが、書かずにはいられない。
一種の 癖、病気みたいなものである。
そんな私を知っている人からは「さわこさん、ブログ始めなさいよ」
と何年も前から勧められていた。

しかし、不特定多数の人の目に触れることに対して恐れがあった。
また、ブログ上のトラブルを聞くにつけても、恐れが先立ってしまって踏み切れなかった。

しかし、神様の時が来たと言えるのだろうか、恐れに打ち勝つ勇気が湧いてきた。

いざ、書き始めると、その日その日の聖書通読の記録ばかりでなく、今までに書き留めていたものも、発表したくなってきた。

書かないではいられなかったことは、何年経過しても私の思考にとどまって私を形成し私の思想となっている。
その思想は未完成だから、訂正修正していくことも出てくるが、それでもその時には新しい気づきに感動し熟考する喜びがある。

というような次第で、「茶の湯と聖書」の関係について2009年1月に書いたことを手直ししながら、少しずつ発表しようと思う。

高橋敏夫著「茶の湯の心で聖書を読めば」を読んだとき、
そうだ!そうだ!と共感し、私はこういうことをお茶のお稽古のたびに感じていたのだと喜びがあふれてきた。
私が直感したことはあながち的外れではなかったのだと高橋牧師に感謝した。

茶庭はまさに天国への道の象徴のように思う。

私のお稽古場には、外露地と内露地がある。
他の方の話を聞いても、このような茶庭のある茶室でお稽古できている人は多くないようだ。
何と恵まれた環境だろう。
お稽古はいつも夕刻からであるから、道路に面した門の扉を開けて、外露地の灯篭の明かりを頼りに狭い石畳を歩いて内玄関まで行く。

その扉を開けると、そこは「寄り付き」という小部屋となっている。
履いてきた草履を脱ぎ、足袋カバーを脱ぎ、お稽古に使わない一切のものを風呂敷に包んで所定の場所に片づけて、お稽古のセットを懐に仕舞い身支整えるのである。
あらかじめ用意されている所定の草履に履き替える。


そして「版木」を打つのである。
「到着致しました」いう合図である。

そのとき、日常の一切を捨て去り、非日常の世界に踏み込み、魂を神様の世界に注ぎだす自分をいとおしく思う。
神様に招かれている自分をありがたく思う。
神様の招きに応答することができた不思議を感動する。

そして「叩けよさらば開かれん」のイエス様のお言葉を思う。
まさに、叩くのである。

神様、私です。さわこです。
あなたの娘が帰ってきました。
今から、あなたの御国に参ります。
との合図である。


そして内露地に入る。
内露地にも灯篭の明かりがついており、すぐそばにすえられた自然石を削って水を貯めるもの蹲(つくばい)がある。

備えられている柄杓で蹲の中の水を汲み手を清め口をすすぐ。

そうして、ようやくお稽古場の玄関の扉を開けるのである。
普段のお稽古の時には、「にじりぐち」は使わない。

露地を歩くとき、私は「いのちに至る細い道」を思う。
この石畳の露地道は狭いので、二人並んで歩くことはできない。

人間がふたりで歩くことはできないのだけれど、イエス様は共に歩んでくださるのである。

灯篭の明かりを見ると「世の光であるキリスト様」を思う。

つくばいで手をきよめ口を漱ぐときに「命の水」を思う。

また清めるという行為から、日頃の積もった心の塵を捨て去り清めていただきたいという俗人の願いを思う。

世俗から分かたれ離れて神のものとなり、神を信仰する「この道」を歩むことを思う。

版木をたたくときには、「たたきなさい」とのイエス様の御声を聞く。

蹲を使うときにはかがむのだが、その姿勢から「洗足式」を思う。

また、お稽古の時ご亭主役は、ふくさを帯にはさむのであるが、イエス様が手拭いを腰にまとわれて、弟子たちの足を洗われたことを思う。

袱紗(ふくさ)はイエス様の手ぬぐいを表しているのだと思う。

茶道は禅宗の影響が強く言われているけれど、このような茶室の仕組みを見ていると、すべて禅宗に帰するのには無理があるのではないかなと思う。

秀吉、徳川政権がキリシタン禁令を出したために、キリスト教とのかかわりが消されたのではないかなと思う。

迫害下にあったキリシタン茶人たちは、その秘めたキリスト信仰を、非日常的な空間の中で「茶庭」という形によって表したのではないかしら。

それでは、またね。