ごきげんよう! さわこです

朝祷会に参加してきました。
毎月、第二と第四火曜日に7時半から8時半まで、超教会での祈祷会があることをアシュラムで知り合ったご夫妻を通して知りお誘いを受けた。

日本基督教団のその教会は、私の住む県で、最も古い教会である。

主人の曽祖父母も明治のクリスチャンであり、曽祖父は創立後10年頃の長老の一人であった。

人間的な感覚なら、私は嫁ぎ先との関係の深いその教会に導かれるはずだった。

しかし、神様は私をセブンスデーアドベンチスト教会に招き寄せられた。
私の母方の親戚の者たちが集う教会がSDAであった。

母方の親戚といっても、母の従姉とその家族である。
今の時代、親の従姉と付き合うということは珍しいのではないか。
親の従姉の家族については、知らない、関心がないという人の方が多いのではないか。

私の母は年の離れて生まれた末っ子であったため、兄や姉たちが学業や結婚で離れていってからは、一人っ子のように暮らしていたから、両親から親戚のつながりをよく聞かされて育った。

また戦時中ということもあり、疎開してきた従姉たちとの交わりもあり「いとこ」のそのまた「いとこ」のことまで知っていた。
大伯母さん大伯父さんのことやその嫁ぎ先のことまでも情報を持っていた。

そういう関係で、私は、母の従姉一族とも多少とも知り合っていた。

それがSDA教会につながっていく要因であった。

今日、訪問した日本基督教団の教会は主人の家と深いつながりがあったから、私の中では親戚の教会のような気持ちが強い。

主人方の親戚はもちろん、この教会の信者である。
その親戚のおばさまとは、住まいが近所ということもあって、善き信仰の友であった。

毎月、第一月曜日の夜、訪問して二人だけの祈り会を7年ほど持っていた。
伯母さまが高齢になって無理になってしまうまで続いた。

私が安息日礼拝を守れなくなって苦しかったとき
「大丈夫よ、さわこさん、必ず神様が教会生活ができるようにしてくださいますからね。忍耐して待っていなさい」と励ましてくださった。

私の出エジプトが終わって教会に復帰できたとき、おばさまに報告した。
それは、喜んでくださり「あなたとは一度、一緒に祈りたいと思っていたのよ」と言ってくださった。

こうして二人だけの超教派の小さな祈祷会が始まった。

今日の朝祷会に集われた方は伯母さまのことをよく覚えていらっしゃった。
その伯母さまに「教補」となってもらって信仰を育て支えてもらったというご婦人もいらした。伯母さまは教会の次の世代を養っていくという目立たないけれど大きな働きをなさった信任の篤い存在であった。

私も、また、伯母さまに苦しい信仰の時を支えてもらった1人である。

祈り会では、伯母さまはいつもSDA教会のために祈ってくださった。
SDAについて知っておられ「聖書に忠実な良い教会ですよ。さわこさん、いい教会に導かれましたね」と喜んでくださった。
伯母さまとの語らいの中でわかったことは、アドベンチストである母の従姉と伯母さまは親しかったのだ。母の従姉を通してSDAについて知識を得ていたのだった。

大きな網をかけて救おうとなさる神様の大きさ豊かさを知った。

私はSDA教会につながることによって、主人の曽祖父母の信仰を受け継ぎ、キリストを信じる者に連なったのである。

おばさまと深いつながりを持った方たちとの交わりの中での朝祷会であった。

マラナ・タ
主イエス・キリストの父なる神様をたたえます。