皆様、おはようございます。
わたくしは、2000年の5月13日にH先生によって、亡き主人とともにバプテスマを受けましたので、クリスチャンとなりまして、今日で5年と1日、今日から6年目にはいります。
このような記念すべき日に証の機会をいただきましてとてもうれしく存じます。
今日は、菜の花におそわった生き方の喜びを発表させていただけますことを感謝し、そしてその時をお与えくださった神さまを賛美申し上げます。
20年前、主人は手術直後、予期せぬ一級の障害者となりました。
手がけたお医者さまが「植物人間になるだろう」とおっしゃった時には、頭の中は真っ白になり放心状態でした。
しかし、土壇場になると、強い意志が頭をもたげ「よし、お医者様が見放したなら、自分が何としてでも、元に近い人間になるよう介護に専念するぞ」と強く心に誓いました。
それからは、日々、主人、私、子どもたちとともに努力、努力の戦いです。
神さまは背負いきれないほどのお荷物は与えないだろうと思い、言葉の訓練には様々な形で取り組み、手を引いての毎日の散歩は、雨降り以外、欠かしたことはありませんでした。
春になって、家庭菜園の菜の花が黄色に咲き乱れました。
やわらかい脇芽が目にとまったとき、とって帰り、胡麻和えにしてみました。
私たち二人とも始めて食べた食材です。本当においしかったのです。
雑用に追われ、せっかく種まきしたのに、自作の野菜は食べる時期をのがし、お店の野菜を買って食べていたのです。
第一番にとれる野菜は食べず、第二のわき芽の菜花を食べたのです。
私は主人に「この野菜のように、第二の人生はきっと素晴らしく、味わいのある意義のある歩みがありますよ」と慰めとも、励ましともつかぬ言葉を出しました。
主人はにっこりうなづいてくれました。
失語症になり右半身不随になり、人からは理解力までも失ったかのように、見られるようなことさえありましたが、主人が私のこの言葉に共感してくれたとき、主人は、頭も心もまったく健在であることが確認できて、本当にうれしくなりました。
私たちは、第一のさいわいな人生におごることなく、ささやかな第二の人生に希望の道を求めることができました。
医者としての第一の人生は睡眠時間までも削って、人のために仕える日々でした。
しかし、障害をもってからの18年間は1日24時間をすべて自分のために使えます。
「何と素晴らしいご褒美でせう」
主人は喜びと感謝の第二の生涯を送りました。
その間、火曜日には、当時の牧師、F先生が毎週おいでくださり、聖書の勉強をしてくださいました。
主人はとても楽しみにしていて、熱心に先生の話に耳を傾けました。
会話はできないのに好きな讃美歌は大きな声で歌っておりました。
「主われを愛す」「ここも神の御国なれば」「いつくしみふかき」の三つです。
第二の人生において、第一の人生の時から守り導いていてくださった神様をはっきりと知ることができました。
主人と私は二年間の長い婚約時代がありました。
終戦後の貧しい物のない時代です。電話も普及しておらず、交通も不便。手紙の遣り取りが唯一の心の交流でした。
主人から「私は時々、聖書を読みます。とてもよいことが書かれていますから、是非、あなたもお読みなさい。ただし私はクリスチャンではありません」という手紙を受け取ったことがありました。
聖書を学ぶたび、感動を受けるたびに、主人はもしかしたら、ここで感動したのかしら?いったいどこに心を引かれて、よいことを書いてあると思ったのかしら?と考えます。
「ただし、私はクリスチャンではありません」と言っておきながら、最後はクリスチャンとなって人生を終えました。
第二の人生が始まったとき、神様は菜の花のわき芽を用いて、本当の深い人生の喜びを、有難い尊い喜びを、教えてくださいました。
主人の介護をしているときには、クリスチャンとなっても私たちは安息日礼拝に出席することはできませんでした。
主人と二人で歌える讃美歌を歌い、自分たち流のお祈りをして過ごしていました。
しかし、それでも十分に幸せを感じておりましたから、遠いのに、疲れるのに、忙しいのに、何も無理をして教会にまで行かなくても、神さまを信じていればそれでよいのではないか、と思ったりしておりました。
2000年の1月主人は突然亡くなってしまいました。主人のにっこりと微笑んだ表情を見て、きっと息を引き取るとき、天国の窓が開いてイエス様にお会いしたのではないかと思いました。
まもなく主人の大好きだったF先生が3月いっぱいで牧師を辞められると聞いて、先生のお話をあと何回聞かせていただくことができるだろうか、と思うと教会に行かなければという気持ちになりました。
主人が亡くなって、まだ悲しみも癒えていない、あとの用事もまだまだ、たくさん残っている時でしたが、亡くなった主人の分も先生のお説教を聞かなくてはと思って安息日礼拝に出席するようになりました。
教会に行くたびに、皆様からやさしく親しくお声をかけていただきます。
仲良しのお友達もふえてきます。
教会に7人の友がいれば、人は教会から離れることはないと聞かされましたが、今、指折り数えていますと7人以上のお友達ができていることに気づきました。
安息日にはイエス様にお会いする喜びばかりでなく、あの人に会える、この人にも会える、という喜びもつのってくるようになりました。
春になり、菜花のおいしい季節がめぐってきました。
イエス様のお言葉「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」
ヨハネ14章5節を思い出しました。
菜の花はイエス様です。そして、私たち教会員は菜の花のわき芽です。
イエス様につながっているから、わき芽はおいしくなるのです。
ひとつのわき芽ではおいしい胡麻和えはできないけれど、たくさんのわき芽をつんで混ぜ合わせるとおいしい菜花のわき芽のお料理ができあがります。
神さまは菜の花を通して、また素晴らしいことを教えてくださいました。
私が教会に来ることのないままクリスチャン生活を送っていたなら、気づかなかったことです。
安息日礼拝に出席することの意味と祝福が分かり始めたように思いました。
教会がなぜ大切であるかもわかりはじめました。
菜の花に教わった、第二の人生の大いなる喜び、教会の大切さ、教会員の交わりの喜びを胸に日常を大切に送りたいと思います。
私はむつかしいことはわかりません。
しかしテサロニケ信徒への第一の手紙5章16から18節
「いつもよろこんでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」
この聖句は、短くかくて、おぼえやすくて、やさしい、なんといい聖句でせうか。このことを実行して生きていきたいといつも思っています。
できそうにもないときには、
詩編46編の「神はわれらの避け所、また力である。悩める時のいと近き助けである」を思い出すことにしています。
喜べるように、感謝できるように、絶えず祈れるように、神さまが助けてくださることが約束されているからです。
私の証は、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
わたくしは、2000年の5月13日にH先生によって、亡き主人とともにバプテスマを受けましたので、クリスチャンとなりまして、今日で5年と1日、今日から6年目にはいります。
このような記念すべき日に証の機会をいただきましてとてもうれしく存じます。
今日は、菜の花におそわった生き方の喜びを発表させていただけますことを感謝し、そしてその時をお与えくださった神さまを賛美申し上げます。
20年前、主人は手術直後、予期せぬ一級の障害者となりました。
手がけたお医者さまが「植物人間になるだろう」とおっしゃった時には、頭の中は真っ白になり放心状態でした。
しかし、土壇場になると、強い意志が頭をもたげ「よし、お医者様が見放したなら、自分が何としてでも、元に近い人間になるよう介護に専念するぞ」と強く心に誓いました。
それからは、日々、主人、私、子どもたちとともに努力、努力の戦いです。
神さまは背負いきれないほどのお荷物は与えないだろうと思い、言葉の訓練には様々な形で取り組み、手を引いての毎日の散歩は、雨降り以外、欠かしたことはありませんでした。
春になって、家庭菜園の菜の花が黄色に咲き乱れました。
やわらかい脇芽が目にとまったとき、とって帰り、胡麻和えにしてみました。
私たち二人とも始めて食べた食材です。本当においしかったのです。
雑用に追われ、せっかく種まきしたのに、自作の野菜は食べる時期をのがし、お店の野菜を買って食べていたのです。
第一番にとれる野菜は食べず、第二のわき芽の菜花を食べたのです。
私は主人に「この野菜のように、第二の人生はきっと素晴らしく、味わいのある意義のある歩みがありますよ」と慰めとも、励ましともつかぬ言葉を出しました。
主人はにっこりうなづいてくれました。
失語症になり右半身不随になり、人からは理解力までも失ったかのように、見られるようなことさえありましたが、主人が私のこの言葉に共感してくれたとき、主人は、頭も心もまったく健在であることが確認できて、本当にうれしくなりました。
私たちは、第一のさいわいな人生におごることなく、ささやかな第二の人生に希望の道を求めることができました。
医者としての第一の人生は睡眠時間までも削って、人のために仕える日々でした。
しかし、障害をもってからの18年間は1日24時間をすべて自分のために使えます。
「何と素晴らしいご褒美でせう」
主人は喜びと感謝の第二の生涯を送りました。
その間、火曜日には、当時の牧師、F先生が毎週おいでくださり、聖書の勉強をしてくださいました。
主人はとても楽しみにしていて、熱心に先生の話に耳を傾けました。
会話はできないのに好きな讃美歌は大きな声で歌っておりました。
「主われを愛す」「ここも神の御国なれば」「いつくしみふかき」の三つです。
第二の人生において、第一の人生の時から守り導いていてくださった神様をはっきりと知ることができました。
主人と私は二年間の長い婚約時代がありました。
終戦後の貧しい物のない時代です。電話も普及しておらず、交通も不便。手紙の遣り取りが唯一の心の交流でした。
主人から「私は時々、聖書を読みます。とてもよいことが書かれていますから、是非、あなたもお読みなさい。ただし私はクリスチャンではありません」という手紙を受け取ったことがありました。
聖書を学ぶたび、感動を受けるたびに、主人はもしかしたら、ここで感動したのかしら?いったいどこに心を引かれて、よいことを書いてあると思ったのかしら?と考えます。
「ただし、私はクリスチャンではありません」と言っておきながら、最後はクリスチャンとなって人生を終えました。
第二の人生が始まったとき、神様は菜の花のわき芽を用いて、本当の深い人生の喜びを、有難い尊い喜びを、教えてくださいました。
主人の介護をしているときには、クリスチャンとなっても私たちは安息日礼拝に出席することはできませんでした。
主人と二人で歌える讃美歌を歌い、自分たち流のお祈りをして過ごしていました。
しかし、それでも十分に幸せを感じておりましたから、遠いのに、疲れるのに、忙しいのに、何も無理をして教会にまで行かなくても、神さまを信じていればそれでよいのではないか、と思ったりしておりました。
2000年の1月主人は突然亡くなってしまいました。主人のにっこりと微笑んだ表情を見て、きっと息を引き取るとき、天国の窓が開いてイエス様にお会いしたのではないかと思いました。
まもなく主人の大好きだったF先生が3月いっぱいで牧師を辞められると聞いて、先生のお話をあと何回聞かせていただくことができるだろうか、と思うと教会に行かなければという気持ちになりました。
主人が亡くなって、まだ悲しみも癒えていない、あとの用事もまだまだ、たくさん残っている時でしたが、亡くなった主人の分も先生のお説教を聞かなくてはと思って安息日礼拝に出席するようになりました。
教会に行くたびに、皆様からやさしく親しくお声をかけていただきます。
仲良しのお友達もふえてきます。
教会に7人の友がいれば、人は教会から離れることはないと聞かされましたが、今、指折り数えていますと7人以上のお友達ができていることに気づきました。
安息日にはイエス様にお会いする喜びばかりでなく、あの人に会える、この人にも会える、という喜びもつのってくるようになりました。
春になり、菜花のおいしい季節がめぐってきました。
イエス様のお言葉「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」
ヨハネ14章5節を思い出しました。
菜の花はイエス様です。そして、私たち教会員は菜の花のわき芽です。
イエス様につながっているから、わき芽はおいしくなるのです。
ひとつのわき芽ではおいしい胡麻和えはできないけれど、たくさんのわき芽をつんで混ぜ合わせるとおいしい菜花のわき芽のお料理ができあがります。
神さまは菜の花を通して、また素晴らしいことを教えてくださいました。
私が教会に来ることのないままクリスチャン生活を送っていたなら、気づかなかったことです。
安息日礼拝に出席することの意味と祝福が分かり始めたように思いました。
教会がなぜ大切であるかもわかりはじめました。
菜の花に教わった、第二の人生の大いなる喜び、教会の大切さ、教会員の交わりの喜びを胸に日常を大切に送りたいと思います。
私はむつかしいことはわかりません。
しかしテサロニケ信徒への第一の手紙5章16から18節
「いつもよろこんでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」
この聖句は、短くかくて、おぼえやすくて、やさしい、なんといい聖句でせうか。このことを実行して生きていきたいといつも思っています。
できそうにもないときには、
詩編46編の「神はわれらの避け所、また力である。悩める時のいと近き助けである」を思い出すことにしています。
喜べるように、感謝できるように、絶えず祈れるように、神さまが助けてくださることが約束されているからです。
私の証は、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。