3月1日 午前6時
雨の中
毎月恒例の
お朔日詣に賀茂神社に参拝してきました
1日のお朔日詣は
かれこれ10年以上続けておりますが
1日って奥深い
月の始めでもあり
今月はどう過ごすか どうありたいか
自分を立るいい機会だと思う
そして
今年の1月1日
令和6年能登半島地震に見舞われたことにおいて
1日は
あれから 2か月と思い返すことができる
早くも2か月
まだ2か月
と
どちらも感じる自分がおります
多くの方が必死で
辛い中 生活をし活動をし続けている今日
能登半島地震は
多くの方に衝撃とショックを与えた
私事ですが
能登半島地震において
輪島市の友人を亡くしました
このショックは大きかったのですが
花を手向けにいったとき
彼女のご主人とお話することができましたが
おそらく わたし以上にショックだったと思いますが
わたしに対して気丈に対応してくださったことが
今でも目に焼き付いています
人の強さというか
相手を思う気持ちは
親族を失っていても
ホスピタリティを持っていらっしゃることに
能登はやさしさ土までも
の意味が理解できる
生と死
を深く考えた
この2か月でした
わたしは生かされている
では
生き残った
わたしはどうするのか
問われているような気がします
それは
考えて行動することだと思う
さて
わたしが行っている
毎月1日のお朔日詣
よく 「まいり」 と言いますが
漢字にすると
「参り」 と 「詣り」
がありますが この違いご存知でしょうか
「参り」 は 呼ばれていくこと
「詣り」 は 自らの意思で赴くこと
です
全国の神社で
朔日詣 というのは
神さまが呼んでいるのではなく
参拝者の自らの意思で参拝に行く
という理解があるという認識が必要だと思う
自分の意志がどこにあるのか
地震から常に考え意識してきた2か月でした
それは
生かされているからできることなんだろうなと
能登半島地震で亡くなった友人を思い出すワケです
生きるとは
実に尊い