見捨てられ感

 

能登半島地震において

地震から1年以上経っているにもかかわらず

復興が進まない

 

これを

「見捨てられた被災地」

と言われています

 

それは「能登」の限った話ではない現実があります

 

地震の被害が大きかった

能登半島の輪島市や珠洲市もそうですが

かほく市も規模は小さいかもしれませんが

液状化で住宅被害は全壊・半壊・一部損壊の合計で942棟

非住宅被害は公共建物・その他で318棟

 

電信柱は傾いたまま

道路は少しづつ舗装が新しくされたりしてはおりますが

地震の爪痕は今でもあちらこちらに見える

 

公費解体をしているお宅

さら地になったところ

 

今まで並んでいた家が公費解体で

歯が抜けたようになっているところもあちこちに見える

 

改めて

被害が大きかった地域を歩いています

家の被害が大きかったにもかかわらず

一部損壊としか見てもらえず 

必要な支援をいただけなかった方

 

家を直すより

物価高で生活するので精一杯と

壊れたままのお住まいの方もいる

 

支援の公平性というのは

ひじょうに難しい問題ですが

あの日のままでいることは

心もあの日のままでいることだと思う

 

ある方が

わたしに仰った

「見捨てられた気がします」

 

かほく市でも

見捨てられた感を持つ方がいることは現実なのだ

 

見捨てられる

置いてきぼり 置き去り 取り残される

放置される など 言い換え辞典を調べると

このような言葉が出てくる

 

わかりやすく言うと

「相手にされなくなる」ということでもあるだろう

 

悲しいことに

災害において被災の度合いはそれぞれに違えど

どこかぜ線引きが必要だということで

全壊 半壊 一部損壊などで支援が違うワケで

当たり前かもしれませんが

 

一部損壊でも

自己資金で直さないといけない方は大きな負担がかかる

 

家の水回りがダメになったのに

傾いているのに

敷地が斜めになってしまっているのに

 

相手にされなくなった時

どんなに悲しく 寂しいことか

それが1年以上持つ感情だったならばと思うと

胸が苦しい

 

国から能登半島地震における

新たな交付金が来る

何に使うかは自由であるが

資料に目を通すと

「公平性」を揃えた形で

という文字がある

 

この公平性をどういう意味で市が捉えて

使うのか

全体を見ての公平性なのか

本当に必要な方への公平性を取るのか

 

わたしは

十分な支援をしてもらえなかった方に

使っていただきたいと思うし

声を伝えて行きたいと考えております

 

見捨てられた感

をなんとかしたい