2月3日
能登半島地震から1ヵ月が過ぎた
多くの関係者の方々のおかげで
少しづつ能登へのアクセスもよくなりつつあるが
生活再建については
まだ時間を要すると思う
わたしも
少しづつ日常を取り戻しつつある中
今日は 時間をみつけて
輪島市まで行ってきた
それは地震で亡くなった友人を弔いに
ようやく行けたのである
友人と連絡が取れなかった
災害用連絡ツールで探しても見当たらない
一抹の不安を感じつつ
無事を祈っていましたが
県が公表した地震による犠牲者に友人の名前を見つける
うそでしょ
と思いながら
何度も何度も名簿を読み返しましたが
間違いなく友人だった
あれから
2週間はすぎているが
こちらの地震対応などに追われ
自由な時間がない中
時間は過ぎゆき
ようやく 輪島市まで行くことができた
道中は 復旧が進んでいると言えど
あちこちで倒壊した家や
傾いた電柱 道路も隆起した状態のままの箇所も多い
ニュースでよく見る映像そのまま
わたしが知っている輪島の町ではなくなっていたことにも
ショックを受けたワケですが
友人宅にお邪魔すると
そこも倒壊した家だった
ご親族が
「遠くからわざわざ ありがとうございます」と
丁寧に出迎えてくれた
地震発生時の様子
友人がどのような状態で亡くなったのか
「言葉になりません」
というのが
わたしの精一杯 吐けた言葉であった
亡くなった家の部屋に近い場所
に案内してもらい
花をたむけ手を合わせる
ご親族は
現在は避難所におられ
毎日 家をお一人でかたずけられているそうですが
ひとりでは到底追いつかないと思われる状態だった
それでも 気丈に対応されるご親族
友人宅を後に
目の前には
火災で焼けた 朝市通りの姿
呆然としていたら
片付けをされている
お近所の方々が
わたしに
「こんにちは」
「おつかれさん」
「今日 天気いいね」
と気軽に声をかけてこられる
能登はやさしや土までも
と言われますが
みなさんも被災しているのに
苦しいのに
他人に気にかけてくれる
そんな 強さとやさしさが更に涙を誘う
自分は何しているんだろう
と思うことあります
失意の中にいたままでいるか
失う経験から何を学ぶのか
生き方が変わる
と聞いたことがある
残された
わたしたちは
これから
どう生きるか問われている
ことを改めて実感