人権擁護・男女共同参画啓発事業

映画「彼らが本気で編むときは、」の上映会を開催

 

12月9日(土)

10:00~(9時半開場)

西田幾多郎記念哲学館 哲学ホールにて

参加 無料

 

 

 

心と身体の性が異なるトランスジェンダーの女性を

生田斗真さんが演じた話題作ですが

以前 映画を観たことがあります

 

映画を通じてセクシャルマイノリティー

(LGBTなど)

について考えていただけるのではないでしょうか

 

セクシャルマイノリティー

(LGBT)

とは

 

社会のなかで

「これが普通」「こうあるべき」だと思われている

「性のあり方」があると思うのですが

それに当てはまらない方々の総称です

 

生物学的には オスメスがありますが

性のあり方とは 様々な側面があると思っています

社会的な 「性的な役割」

というのは 自由であってもいいのではないか

という考え方

 

わたしは 女性として生まれましたが

時に 女らしさを問われることがありますが

 

「女らしさ」

「男らしさ」

って なんでしょうね

 

先日も わたしは

「女性は 大らかではないといけない」

ある方から

という ご指示を受けました

 

ふむ・・・それって

ジャッジ(決めつけ)ですよね

 

言い返しはしませんでしたが

押し付けられた気になりました

 

女性は ではなく

どのような方でも 「大らかさ」というのは

必要だと思います

(いろんな場面において)

 

「女性は 大らかではないといけない」

という言葉に

 

では 男性は 大らかじゃなくてもいいのかしら?

と思ってしまいます

 

男性でしょ 女性でしょ

という 区分それは あるのは当然ですが

その人の生き方や役割において

自由に選択をして生きてもいいのではないか

 

わたしの知人に

性同一障害の方がいます

 

苦しんでいる様子を随分長く見ています

社会に出たら 生まれた体の性別で生きなければいけない

偏見の目で見られることを恐れて

あるがままの自由な生き方がしにくい

生きづらい方を見てきました

 

都会の話ではなく

こんな身近にも セクシャルな部分で

お悩みの方もいらっしゃいます

 

「こんな 地方にいないでしょ」

と思われるかと思いますが・・・

 

いやいや

「言わない」「言えないだけですよ」

なぜなら

「らしさ」というジャッジが渦巻く社会だからです

(古い考え方と思い込み)

 

人権週間と

パートナーシップ宣誓制度導入において

市民の皆様に広く理解を広める機会です

 

 
参加お申込みは↑より