言葉にならない

という経験

 

突然の別れというのはありますが

SNSのおかげで

久しく会っていない同級生や友人 知人とは

近況がわかる

連絡しやすいなどで

会っていなくても身近に感じられるというのはある

 

ネットでつながっている感というのだろうか

 

会おうと思えばいつでも会える

というライトな関係性でもあったのかと思う

 

小学校の同級生

そして

大人になっても学びを同じくした友人が

亡くなったというお知らせは

 

言葉にならなかった

 

彼女とは小学校の同級生ですから

わたしと同じ年 53歳

 

早すぎるではないか

寂しいではないか

 

というと 本人に怒られるかもしれないな

 

十分に病と闘ってきたと思う

(SNSを見ているのでその様子を拝見はしてきた)

 

頑張ってきたんだと思う

 

それを

早すぎる なんて言ってしまうのは

本人にはつらいだろうな

 

なんて 考えながら

最後のお別れを今日してきました

 

白だけのお花は あの人らしくないから

ピンクのお花も入れた花束持って

 

今までいた人が

先に逝ってしまった

今までいた人が

生の世界にはいなくなった現実を受け止められない自分もいますが

 

なんだろう

 

表現し続けたい 伝えたい

とよく彼女が言っていた言葉を今思い返しています

 

ということは

彼女の死も

ある意味 本人なりの表現だったとするならば

その表現を受け取る必要はあるだろうな

 

若くして逝ってしまったことも

彼女のメッセージであるなら

 

受け取る側は考え

残されたものとして どう生きるか

 

宿題をあの人は置いていってくれた

今宵は宿題に取り組みたいと思う

 

お別れでは 言葉にできませんでしたが

今は ブログ上において文字で

自分なりに言葉にしてみる

 

表現するってこういうことでしょ?

「言いたいこと言わなきゃ」

「伝えないとわからないよ」

というのは

あなたが教えてくれたことだよ

 

同じ年で

先に逝った 友人に捧ぐ