ぼくたちの哲学教室

 

 

 
友人にすすめられて
観てきました
「ぼくたちの哲学教室」
 
北アイルランドの男子小学校で実施されている
哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー映画
 
エルヴィスプレスリーを敬愛する
スキンヘッドのちょっと怖そうな校長先生ですが
愛嬌豊かに哲学の授業を行うことから始まる
 
生徒も
みんな校長先生が
エルヴィスのファンであることは理解をしているようですね
 
校長先生の授業は常に対話式
考えを「話す」ということをする
 
ボールを渡し
ボールを持った生徒は
自分の考えを話す
 
まわりは
絶対に口を挟んではいけないし
ジャッジ(否定)もしない
最後まで人の話を聞く
 
このスタイルは
かほく市でも行っている
西田幾多郎記念哲学館の学芸員さんが
市内の小学5年生に行う哲学の授業と同じスタイルですね
 
正しい答えを出す
のが哲学ではありません
 
むしろ 答えが出ないのが哲学だと校長先生は言いますが
 
映画の中で
子供たちのいろんなシーンが出てきます
どこにでもある
所謂「こどものケンカ」
ですが
 
誰がやったとか
謝ったのか
という押し付けがましいお叱りは先生方はしない
 
思索の壁
というホワイトボード前に立たせ

なぜ自分がトラブルを起こしてしまったのか

文字で書き起こさせる

 

たいていの

子供のケンカには

「怒り」はつきものですが

 

自分の中にある

「怒り」を客観的に眺めさせて考えさせるということをする

 

なかなか自分の感情を

文字にするというのは難しいのかもしれませんが

 

わたしも怒りの感情を持つことがあります

わたしなりに文字に書き起こしてみると

 

怒り=負の感情ですが

怒りたくなることもあります

人間ですから

 

理不尽だ

不条理だ

と感じた時

 

怒りというのは こみ上げてきます

 

対立 葛藤 分裂

から生まれる 怒りや苦しみ 悲しみがごちゃ混ぜです

 

怒りと言いますと

記憶に新しい

北京オリンピック

スノーボード男子ハーフパイプ決勝

金メダルに輝いた平野歩夢選手

 

大技を決めたはずなのに

2回目で納得できる点数が出なかったに

見ているわたしたちも愕然とした

 

おそらく 平野選手自身も納得は行かなかったと思うが

この感情を 原動力に変えたと思われる

3回目で逆転勝利は

わたしたちに

怒りをエネルギーに変えることを教えてくれたと思う

 

怒りを誰にぶつけるか

ぶつけ方だと思います

 

平野選手は そうした感情のマネジメントを

自分でできるということは素晴らしいと思う

 

努力と言いますが

 

怒 と 努

 

よく似た漢字ですが

奴(身分が低い立場の意味合い)に対して

その心と力

何に 努力していますか?が

わたしたちに問われたと感じました

 

それが発揮され より輝く

所謂 スイッチ

 

輝き方は様々ございますが

あの逆転 トリプルコーク1440

 

怒りを原動力にさわやかに勝つ

清々しかった

 

努力を絶やさないためにも

誰かに怒りをぶつけるよりも

自己マネジメントは大事だと思いましたねー

 

映画でも

暴力は暴力を生むだけというシーンがありましたね

 

時に

無知の知

という言葉が好きだったりします

 

映画のシーンにも出てきて

ちょっと嬉しかったですね

 

わたしは何も知らない

だから考える

 

知らないことが恥ではなく

知らないから探求しようとするものではないだろうか

 

子どもたちには

自分で考え自分の言葉にすること

言われたことを額面上受け取るのではなく

自己知

を培ういい学問が哲学かもしれませんね

 

哲学は難しいとは思いません

本来はシンプルであるはず

 

でもそれが

難しいのは

 

誰かにジャッジ(否定)されるくらいなら

合わせていた方が楽ですもんね

 

それでいいのかって話です

 

戦争 紛争 ケンカ いじめ コロナ禍の中でのSNSでの悪意の書き込み

今の時代

どうしてそうなるのか?

ちょっと考えるのにいい映画でした

 

おすすめしていただきました

友人に感謝