10月16日

 

連合石川 かなざわ地域福祉協議会

推薦議員との意見交換会に出席

 

連合石川さんの推薦議員(県議会 市議会議員)と

組合の代表者との意見交換会になります

この場で活動報告もできる機会ということになりますが

各自治体の議員さんの活動報告を傾聴できるいい機会でもあります

(もちろん わたしも活動報告を行いました)

 

さて

意見交換の中で

三つ子の魂百まで

 

についてのエピソードをお聞きました

 

幼時に表れた性質は、いくつになっても変わらない。

教育を受け、大人になって経験を積んでも、

幼い頃の性癖や思いは根強く残る。

@コトバンクより

 

ということですが

シンプルに言えば

安心できる環境の中で愛情に包まれ育てられた子どもは

大人になっても健康な心で過ごしていかれる

 

という意味にもなりますでしょうか

 

耳を覆いたくなる虐待のニュースについて

虐待防止の側面から

医療従事者から

心が傷つくとそれをずっと引きずってしまうという

お話をお聞きました(精神医学的に)

 

虐待は人権侵害

 

子供の人権を守ることは

大人たちの義務である

といわれていますが

 

わたしの経験上 虐待をする親は

その親も昔は子でした

 

何らかのきっかけがあったのではないかとも思う

つまり繰り返されているのではないかとも思う

 

以前 ご縁がありまして

家庭の事情で 児童相談所から一時保護され

児童養護施設または里親さんの元で

育った経験をお持ちの方とお会いして

直接お話を伺うことができました

 

彼・彼女たちはすでに 成人間近で

高校を卒業して独立をしています

 

過去をお話してくださることは

わたしとしては大変ありがたいことです

 

経験したものでしか

わからないことがあるからです

 

当事者の気持ちにどうよりそうか

実態を知らずによりよく現状を変えることができるのか

 

いつもそう思います

 

児童虐待は暴力だけではなく

性的虐待 ネグレクト 心理的虐待

も含まれると定義されています

 

ニュースを見ると

虐待の理由は 「しつけ」だったという

親である加害者が証言していますが

 

こうした あらゆる虐待経験のある方に

お聞きすると

わたしの中で

 

「子供が耐え難い苦痛を感じている場合

それは 虐待である」

 

という理解が生まれました

 

虐待をする親の心理の裏側になにがあるのか

それは おそらく

彼らも 社会においてなんらかの苦痛を味わっていると思う

(子育て 社会でのストレス 貧困・・・など)

つまり 親の心の「闇」というのは

表に出ないで 家庭という密室で行われる

 

労働相談やあらゆる相談窓口があったとしても

羞恥心が邪魔をして吐き出すことができないのと思う

 

 

ですが だからといって

 

親権はあれど

「子供は親の所有物」ではないこと

 

思い通りにならないから

暴力などで支配してもよろしいのか

ということですね

 

経験者のお話を聞く中

大人になっても

親から自立したとしても

心の中に 傷を抱えていると思う

 

ファミリーホーム 里親制度が

促進される中

この現状を現実的に見据えると

足りないものは 法律もさながら

児童相談所の件数 職員さんの数もですが

それだけでは 追いつかない

 

では どうするか

 

見守る 愛情を注ぐ大人たち

地域のみなさんのお力も必要だと考える

 

地域の子供は地域で育てる

なんて言われています

 

こうして 経験者さんのお話を聞いて

自分の幼い頃 経験したことと照らし合わせて

どこまで寄り添うことができるか

これも 政治家として改めて感じた

三つ子の魂百までを考えた

 

虐待する親にも

三つ子の魂百までも言えるのかもしれません