7月25日

 

河北潟の蓮田には

蓮の花が現在咲いています

 

蓮の花と言えば

仏様が座るお花ですが

 

仏様がなぜ蓮の花の上に座るのか・・・

それは

仏教では 

泥=悩みや苦しみさえも栄養にして花を咲かせる

という理解なんですね

 

泥と言えば土ですが

泥臭さというのが人間という人生の醍醐味じゃないかなと

思う今日この頃ですが

 

仏様の泥中の蓮の理解で言いますと

現実的な経験がないと

花は咲きませんよ

 

まさに悩みや苦しみを栄養にしなさい

それで花は咲くという理解だと思います

 

蓮のお花だけでなく

どんな花でも

下を見ると土なわけでして

 

花を見て土を見ずは

木を見て森を見ずに近い理解があるかと思うこともあります

 

昔 山梨県立美術館

ミレーの「種を撒く人」を観たことがあります

 

絵の中の男性は

肩から種がずっしりと入った種袋をぶらさげて

種袋から右手で種を取り出し

それを畑に振りまいています

そして 前をまっすぐ見つめ

右足を力強く前を踏み出しながら

思い切りよく種を蒔いている様子が印象的ですね

 

その姿は

前を見ながら行う「前進」することの人間としての力強さと

足元の土からは泥臭さもうかがえます

 

可憐な花も

花だけ見るのではなく

根をはる土を見ることも大事でしょう

 

長く続くコロナ禍ですが

それでも

わたしたちは前に進まなくてはいけない

 

その姿を見せるのも

わたしたち政治家の役割ではないだろうか