6月7日

 

今日は かほく市が生んだ偉人

世界の哲学者 西田幾多郎先生の命日

(寸心忌)とも言う

毎年 この日は 西田先生のお墓参りに行く

かほく市森に西田家のお墓があります

 

いつもこの日には

「生きる」と「死」を考えさせられますが

 

 

 

こちらの中に

死の問題を解決するというのが人生の一大事である

@西田幾多郎

 

と西田先生は わが子の死から綴っておられます

 

ホントにそうだなぁと思う

親族や身近な方々との死というお別れを経験するたびに感じます

おそらく

一生解決には至らないのであろう

 

それは

わたし自身 夫と死別した経験があるから

痛いほどわかる

 

ブッタは「諸行無常」

と唱え 

死に関しては 変容の一部であるという理解

でありますが 

かわっていても

その諸行無常の領域に到達できないという理由で

苦しんでしまうというのが

わたしたち人間の愚かさなのかもしれませんが

 

まさに 永遠のテーマなのかもしれません

 

先日

西田幾多郎記念哲学館で行われた

開館20周年記念講演会で

福岡伸一氏の 西田哲学と生命科学という講演をお聞きしてきました

 

 

↑レポートはこちら

 

講演の中でも

生きる意味とそして死に関して

少しヒントをいただいた気がしますが

 

すべては流動的であると

絶え間なく流れていくものである

流れとは いつかはそこから次に流れていくものだと

わたしたちの身体も

身体の中で起こっているので見えないけれど

常に細胞は毎日絶え間なく新しく変容を遂げて

古いものは流れて行っているものだというお話

 

つまり 新しくなれなくなることが「死」であるということ

 

 

いつまでも 

そこに存在していたいという欲と

失わないでいようとする執着というのも

人間らしさなのかもしれませんが

 

それが苦しみとなることもある

 

今までどおりが難しい

元通りにするのも難しい

 

すべてが 生まれ変わり新しくなっていく様を

コロナ禍で

多く感じた方も多いと思います

 

「哲学は驚きから始まる」

と言われております

 

わたしたちは コロナ禍中で

驚くことがたくさんあったと思います

 

「なぜ?」

という問いが哲学です

 

元通りにしようとするのではなく

なぜ こうなったのか

と考えることで出来事に意味があることに気づくと思う

 

そう西田先生に毎年では

ありますが教えられるんですよね

特に この日は