シン・ウルトラマン

空想特撮映画

 

 

 

宿題が溜まっておりますが

今日は宿題の手をとめて

自分の時間を持って 以前から観たいと思っていた

シン・ウルトラマン観てきました

 

ウルトラマンと言えば(初代)

1966年~の放送でして

当時は わたしは生まれておりません

(1970年生まれです)

 

ですので

リアルタイムでは観ておりませんが

幼い記憶をたどれば

おそらく 再放送で見たと思います

 

「光の国から 僕らのために」

地球を荒らす

脅威の怪獣や宇宙人を倒してくださった

ヒーローのイメージがございましたが

最終回では

ゼットンに倒されるという驚愕のシーンと

 

わたしたちは

ウルトラマンに依存していたことを

幼いながらも考えさせられた

 

誰かに「してもらおう」

ではなく

自分の力で成し遂げるという

智恵と勇気を振り絞ることを

学んだという記憶があるんですね

 

 

さて 時を経て 令和の時代の

新しいウルトラマンというドラマ

 

今日は わたしの他

映画館には おそらく同年代だと思われる

男性の方々が多く来られていた(50代とか60代だとか)

 

初代ウルトラマンを見た世代の方々だと思う

子供のころ見た あのウルトラマンと

庵野監督が醸し出す 違う側面からのウルトラマンに興味があった

 

観た感想は

あまり書くとネタバレになりますので

ぼやかしておきますが

 

ウルトラマンは

光の国から地球に降り立ったワケですが・・・

 

光が射すと何が起こるか・・・

 

それは「影」(闇)

 

ということです

 

わたしたちは 光を求めすぎることがありますが

(きれいごと とも言う)

 

暗いから 闇があるから 光を求めるワケです

 

光と影という 表裏一体

というものを シン・ウルトラマンという映画から読み取れるのでは

ないかと思う

 

子供のころは

ウルトラマンというヒーローが光の存在でありましたが

そこしか見ないこともありました

 

いつも助けてもらって・・・

では 自分たちは何をしていましたか?

というお話

 

そんなに人間が好きだったのか ウルトラマン

 

ウルトラマンが人間を好きだった理由は

わたしたちの中にあるものを教えてくれます

 

それは

いつも

「誰かがしてくれるだろう」

「してくれないから」

「してくれるのが当たり前」

という自分の可能性を引き出さない考え方では

引き出せませんよ

という オチがあるのではないかと思う

 

つまり 光の存在に依存していると

わたしたち人間は影になりっぱなしということでもあると思う

 

ウルトラマンは

わたしたちの影に隠れていた可能性を

見つけてくださる存在だと思う

 

幼いころ うっすら感じた

誰かの力を借りるのではなく

自分の力で成し遂げる

智恵と勇気を振り絞ること

 

それは 昭和も令和も同じですが

そのプロセスをさらにわかりやすくしてくれたと感じる

 

深い深い映画だった

 

さて

自分の力で成し遂げる・・・

 

宿題が溜まっております

自分の力で(智恵を絞り)

ガンバリマス

 

シン・ウルトラマンに今日

改めて教えてもらったもんね