花芯

瀬戸内寂聴

 

 

 

瀬戸内寂聴さんの

源氏物語が好きで

過去の女性たちの生き方?を探るということが

現代を生きる同じ女性として

どう見るのか感じるのか

違いは 自分ならどうするか

など 考えるのが好きだった時期がありました

 

それが高じて

昔は 旅行業をしていた時期がありました

 

日本の各地に行くと

伝説や言い伝え 昔話

そして 古典を舞台とした場など

実際に「そこ」に足を運んでその場に立つということは

感無量な経験をしましたが

 

だいたい そんな伝説には

「女性」がつきもの

 

よくあるのは

不幸な恋の末 女性が身を投げた淵 とか

貧困で売られた遊女の悲恋 とか

時には裏切られた男を追って大蛇に変身する というものもある

(安珍清姫)

 

女性が参政権を手にしたのが 1945年

そして

男女雇用機会均等法ができたのが 1985年

男女共同参画基本法ができたのが 1999年

 

ですが

男女差別

を解消することが推し進められていますが

 

いまだに それが完全に男女差別が

振り払われたとは言い切れないなと思うこともある

 

DV セクハラ パワハラ

レイプ 痴漢

だけではなく

 

仕事を終えて 走って家に帰り 夕飯の支度

ワンオペ育児 シングルの子育て

 

過去の女性たちは

「なんで!」という怒りを

文章の上で見せてくれる

 

これって 古典や昔話の中でも

実はよくある話で

過去の女性たちも

時間は違えど「今」の女性と変わらぬ

悩みを抱えながら生きていることがわかる

 

時空を超えた「課題」

というのは

こうした 伝説上で結ばれていると感じる次第です

 

女性はこうあらねば

にがんじがらめになっていると

 

怒りが決壊してあふれてくる

(それが妖怪になっちゃうわけでして・・・)

 

それが「素顔」だとと思うんですね

 

素顔でいられない

つまり

「女性」という役割をやりすぎるということに問題があり

自分らしさを失うことをしない

というのが

瀬戸内寂聴さんの

数々の著書で感じることがあった

 

寂聴さんの生きざまに賛否両論はあることは

存じておりますが

出家をされた時点で

懺悔の生き方だったと思う

 

あるがままを公表し

批判を恐れず

女性はこうあるべきというあり方に一石を投じてくれた方として

尊敬をしています

 

たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが

死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。
逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。

@瀬戸内寂聴

 

99歳で

その人生の幕を閉じたとか

 

わたしも 名言に準じたい

だから 様々経験したいと思う

 

ホントにおつかれさまでした

そして

最大の感謝を