9月11日

 

まもなく シングルマザーになり15年目

を迎えようとしています

 

9月は わたしが未亡人になった月です

この10数年間は

目まぐるしい激動の月日を過ごしておりましたので

 

気づいたら

長男は社会人

次男は高校生

 

毎日が必死で

わたしとしては

もう15年?という実感がないのが事実です

 

月命日 命日には

お寺さんが仏壇にお教をあげにくださります

その度に

「お一人で子育て ご苦労様です」

とお声かけをしてくださいますが

 

実はピンと来ない

 

わたしにしたら

一人での子育ては難しく

親族 及び 周りの方々の協力なしでは

育ててこれなかったと思っています

 

先日 最近ご家族を亡くされた遺族の方とお話する機会がありましたが

突然 親族を失うという言葉にならないご心境を伺い

わたし自身の15年前の出来事を思い出すことがありました

 

喪失感や悲しみと向き合うとは

実につらいことですので

心を消してしまいたいと思ってしまうのですが

しかし

心を消すということは故人を忘れるということではないか・・・

ですので

あの時 ああしてやれなかった

こしてやれなかったということを思い返すと

後悔と罪悪感があり

自分だけが楽になってはいけないという自責の念を抱え

前に進めなかったな

という当時の自分を振り返っております

 

あれから 15年ですが

故人の両親が近くにいて

(つまり おじいちゃん おばあちゃん)

兄弟も子育てを手伝ってくださった

ご近所さんも いつも子供たちのことを

気にかけてくださった

 

後悔や罪悪感は

孤独を連れてきます

 

誰かの優しさや思いやりを

拒否してしまうこともあります

 

それは

「自分だけが楽になってはいけない」

という自責の念が孤独を引き寄せてしまうことが

 

頼ることを 遠慮してしまう

ということになりがち

 

過剰な責任感を背負っておりまして

ちゃんとしなくてはという

どこから湧いてくるのかわからないものから

重圧を感じていたのが思い出されます

 

ですが 

マンパワーの限界

というのはありまして

さすがに しんどいという気持ちに

素直になったとき

お姑さんや親族に

「お願いします」

と頭を下げれるようになっていた

 

迷惑をかけるんじゃないだろうか

という 遠慮も頼らないという気持ちの表れかもしれない

 

ですが

人は 頼られることを好む

 

誰しもが役割を明確にしたいもの

 

わたしも頼られると

自分の役割や居場所があるということ

確信ができて 実は嬉しかったりするんですよね

 

 

シングルマザー

または

ひとり親世帯

の課題

 

様々な問題があると思いますが

ソフト面で言えること

当事者としていえることは

 

「頼ってよろしい」

ということ

 

子どもを取り巻く様々な問題も

頼ってはいけないという

肩に力を入れている状態かもしれない

 

相談するところはたくさんある

 

わたしは親族にサポートをお願いしてきましたが

お近くにご家族がいない方

行政や女性センターなど

そして 最近では こども食堂など

 

持ちつ持たれつ

という言葉があります

 

わたしは 子育てに関して

周りに甘えに甘えてきましたが

それをどこかでお返しするのが

今の立場であり役割だと思っています

 

おかげさまで

今年から長男は社会人として

家を出て 独り立ちした

おそらく 社会貢献をしていくだろうと思う

 

これまでお世話になったお返しが

何らかの形でしていると思いたい

 

シングル15年を迎え

ひとり親家庭 当事者としていえること

(離婚 死別を含め)

 

自分だけ楽になるのではなく

みんなで楽になっていけます

 

素敵な日本語

「お互い様」というのがあります

 

お世話になったら

どこかで違う形で返していけばいい

 

わたしも今までお世話になった方々のために

感謝する意味で

みなさんにお返しすることは何かを考えながら

行動に移しております