先日 ある方とこんな会話をしました

 

「心が折れた」

経験について

 

「心が折れる」とは

心の支えを失う

意欲がなくなる

障害にぶつかってしまい挫ける

など・・・辞典を調べてみると

心が折れるの語源は

2000年代によくスポーツ選手たちが表現したところから

一般に広がりをみせたとか

 

わたし自身

「心が折れた」

という経験は幾度となくしております

 

所謂 自分で認めた失敗の経験であり

挫折でもあるのだと思います

 

それに伴うのは

「孤独」を感じた時に大いにあります

 

細長いものって・・・

単独で立つことはできても

強い衝撃があると折れたり倒れたりしますよね

 

そのために「支え」が必要ですが

支えを失った 支えがないと折れてしまうイメージができると思います

 

心が折れる

ということを頭でイメージしてみると

心の形って細長いんだっけ?

とも思ってしまいますが

 

日本語の表現はユニークなものだと思います

仮に

心の形は 丸くとも

「心が割れる」と言う場合は

守るクッションという支えがないとも考えられるのかもしれませんね

 

いづれにせよ

支えを失う

孤独を感じる

孤立するということが

 

心が壊れてしまう原因ではないかと思う

 

これは わたしの反省の意味でもありますが

だいたい

「孤独」と感じた時は

 

凝り固まった考えを持っているとき

「〇〇でないといけない」

「〇〇であるべき」

という 固い考えをもっていた時です

つまり「こだわり」を持つことなんですね

 

どなたも いろんな考えや見る角度があり

それを受け入れずに 自己の勝手な正しさを前面に出している時であります

そんな過去もあったんですね

 

それが 強さだと勘違いしていた自分がいたりしました

 

強さは「強固」な固さではないということ

 

固いものは 折れやすい

柔らかいものは しなる

 

刺々しい人には 寄り付きにくいというのはあると思う

しかし

クッションやスポンジのように

ふわふわしたものは柔らかく時にそれを求める人もいるだろう

 

実は強さを勘違いしてはいけない

強さは 受け入れる力である

 

受け入れることができる柔和な心は

絶対に折れないのである

 

ふわふわしたクッションは

割れやすい卵でさえも 割らずに受け止める

 

強いものと強いものが

ぶつかるから壊れる 折れることも忘れてはいけない

 

話を元に戻すと

心は 細長くトゲのあるものであると

人が寄り付かなくなり孤独になる

それが支えを失うことであり 折れやすいということ

 

自分のこだわりにこだわっていると

実は心が折れやすいと思う

 

こわだり

という固い意思や考え方は時に

自分を孤独にすることがあるという戒め

 

固いものは折れやすい

だけど

柔らかいしなやかなものは折れにくく

形状記憶のように元にもどる・・・

 

そして 応援してくださっている方々を思い出し

感謝しながら活動をしなければらないと思う