「日本の伝統」という幻想

藤井青銅

 

 

 
宝塚歌劇団が実は好きでして
時間があれば観劇に行くことがありました
現在の立場になってなかなか観劇に行けないのは残念ですが
疲れた時 ちょっと非現実的になりたい時
宝塚のDVDはもってこいです
 
ジェンヌはフェアリー
わたしたちに夢を与えてくれるそんな世界ですが
ジェンヌたちが通る宝塚音楽学校の厳しさは存じておりました
 
先輩が利用する阪急電車への一礼
先輩に対する表情 態度
過度な提出物・・・
所謂 「伝統」であった不文律廃止というニュースを目にしました
 
時代が変わったことを ようやく受け入れられた瞬間でありました
 
時代にそぐわない 行き過ぎた指導があったこと
しかし 今まで
「伝統である」と美化してきた
 
わたしも 提案に対して
そんな「伝統だから変えられない」という回答をいただいたことありますが
 
伝統って なんですか?
と思うこと多々ございます
 
受け継がれていくもの 守らなければならないものはある
伝統=美しい
ありがちではありますが
それが回答ですか?と首をかしげたくなることもある
 
タイミングよく 現在 
「日本の伝統」という幻想
という本を読んでいます
 
伝統という 美しさ
例えば 石川県で言うならば 金沢市という古き良き文化町並みを残すあり方は
ビジネスにつながる
金沢市の生まれ育ちのわたしですが
伝統だからと 母親から茶道や華道のお稽古をするように強要されましたが
おかげさまで お稽古していた甲斐があり
お茶会に呼ばれてもお作法にもたもたすることはなかったりします
 
が・・・
 
伝統だからという
マウンティング
 
変えるな
従え
絶やすな
守れ
というのは 時にハラスメントになりかねないということです
 
わたしの場合 本書の中に書いてある
「着物警察」にもあったことあります
母の着物を借りて 行事に出席したときに
帯が合わない 半襟が白いのはおかしい
着こなしが悪い と言われた時は
実に不愉快でした
 
お相手は親切心だったのかもしれませんが
それも 一種のご自身の「こうであるべき」から来ているものかもしれません
 
主張というのは
変える必要がある「理由がある」
ということが本質
 
理由を聞かずに 伝統です
でピシャリはどうかと思うこともある
 
コロナ禍において
その 伝統も いとも簡単に変わることもある
 
学校の行事で 校歌は歌わない(録音した音を流して心の中で歌う)
来賓は呼ばない
時間短縮 縮小
楽しみな伝統の修学旅行さえ 中止または廃止になっている
 
伝統 当たり前が 当たり前ではなくなっている
 
後輩は先輩に従うべき 同意すべき
ではない
わたしたちの立場も同じ
先輩後輩は確かにありますが
議場に立つと 論議を交わす必要はある
 
伝統です
という回答は理由にはならなくなると思う
 
変える必要がある
「理由」に耳を傾けていただきたい