「レイプされない方法を教えるのではなく

レイプしないように教えるべきだ」

 

1970年 フェミニストが初めて用いたフレーズ

 

小学生の頃 痴漢に遭ったとき

「そんなところに一人で行ったから悪い」

と親に言われたことがありました

 

友達の家に遊びに行く道中 見知らぬ男性に襲われました

 

人通りの少ない路地

誰かが後ろからついてくる気配がしていて

怖くなって走ろうとした瞬間に 背後から抱き着かれ

身体をまさぐられる

 

怖くて大声も出せなかった

 

ですが

なんとか その男の腕の隙間から逃げ出すことができた

 

帰宅して守ってほしい親にそう言われると

世間が社会が わたしが悪いという認識なんだと洗脳されると

それから一切「なかったこと」にてきた経緯がありますが

(同時に自分が女性であることを嫌悪してきました)

 

痴漢だけではなく

社会で経験した パワハラセクハラも「飲み込む」ことをしてきた

人は多いのではないでしょうか

 

虐待もです(DVも含め)

 

飲み込む(なかったことにする)

わたしさえ 我慢していれば丸く納まる

所謂これは 加害者に忖度するものでして

 

そこから得られるものはなにがあるのか

考えなければいけません

 

 

 

友人に勧められて 昔読んだ本ですが

こちらに 痴漢というのは性的はけ口ではなく「支配欲」だということが

書いてありました

 

支配される側は自分の身を守るために「忖度する」

というのは かつてのわたし自身と重ね合わせてみることがあります

 

忖度して得られるものは

変らぬ日常生活かもしれませんが

得られないものは何か

 

わたし自身 幼少期の経験から

わたしさえ我慢していれば できておりましたが

我慢すればするほど

エスカレートするどころか 常に虐げられる

 

「レイプされない方法を教えるのではなく

レイプしないように教えるべきだ」

という言葉に出会ったときは 目が覚めた気がします

 

配偶者暴力防止法

障害者虐待防止法

児童虐待防止法

パワハラ防止法

 

様々な防止法がある中

それでも 「見えない」ところで行われる悲しい出来事

 

加害者に問題があり被害者には問題はありません

 

虐待やパワハラ問題のご相談を受ける中思うこと

経験者だから言えます

 

「レイプされない方法を教えるのではなく

レイプしないように教えるべきだ」

 

 

勇気を出していただきたいと常に思う

そのために わたしたちはサポート体制を作っています