ネグレクト餓死という

実に悲しいニュースを目の当りにした

 

ネグレクト

育児放棄 育児怠慢(児童虐待の定義において)

を言いますが

 

自立性や自給能力が低い 所謂 低年齢のお子さんに対して

養育を怠っていることを言います

 

食事や衣服の供給やトイレ(おむつの始末)など衛生面の世話

そして 長期間・長時間の保護放棄

 

幼いお子さんは ひとりでは生活することができない

 

放置されて死亡したお子さんの心情を想像すると

居たたまれない気持ちになりますが

なぜ このようなことが起きるのか・・・

 

わたし自身もシングルで息子2人を育ててきましたが

仕事や様々な事情で家を空けなければいけない場合は

ありがたいことに 近くに 親族が住んでおりますので

預けることができた

 

しかし 最初は預けることも(頼むことも) 親族に対しても

ものすごく

「罪悪感」

があったのは 事実です

 

そして 預けることをお願いする際に 断られることを

過剰に恐れた

 

預けたいとお願いすることで 育児放棄だと思われるのが怖い

そして 断られることの恐れ

これは「傷つきたくない」という親のエゴが優先となる心境

 

がしかし

子供の生活 ましてや 命が関わることでありまして

勇気を出して

「預けることをお願いすること」の勇気は

 

自分のエゴ<子供の命

であることを考えたいところです

 

親が傷つきたくないと思えば

逆に子供が傷ついてしまうのではないだろうか

 

 

子供を守る方法は

親自身だけではないと思う

どうしても自分でできないことは 頼むという選択もある

 

近くに親族がいない場合

児童相談所や自治体(市役所 町役場)などに相談窓口がありますので

そちらで 対応してくださるだろう

 

相談することで

否定される

怒られる

親らしくないと思われる

 

と思うこともあるでしょう

 

わたしも随分前ですが 15年以上前ですが

とある相談窓口に相談に行ったとき

相談者に

「それは あなたが悪い あなたが変われば相手も変わる

女性は 親は〇〇であるべきであると 昔から言いますよ」

と 男性の相談員さんに

解決策というより

わたしの行いが悪いから結果こうなったと

いう結論を押し付けられ

めちゃくちゃ傷ついた経験があった

 

二度と相談するもんじゃない

と当時は感じた次第です

 

あれから 15年以上たっていますので

今の相談員さんは 心に寄り添う方になっていると願いたいものですが

 

1つの否定が

孤独 孤立を深める

 

誰にも相談できない

 

罪悪感から逃げるのではなく 向き合う

罪悪感を持ってもいいと思う

そこから 子供の命を守ることもできる

 

シングルマザーの方々と

これから様々な意見交換をする場を作ろとしておりますが

(来週 打ち合わせを予定しております)

第三者の相談窓口の対応もしかり

実は 当事者ではないとわからないこともたくさんある

 

悲しいニュースから目を背けない

そうなるには理由がある

そこを着目して改善点をあらゆる角度から見直さなければならない

 

当事者のお声をお待ちしております