5月29日

 

今日は かほく市役所会議室にて

「全員協議会」でした

 

※「全員協議会」とは

市政上 重要な課題や問題について検討するため

または説明を受ける

議員全員と執行部が集まって開かれる会議

 

会議の冒頭 議長さんの呼びかけで

全員で ClapforCarers(クラップ フォー ケアラーズ)

を実施しました

(医療従事者のみなさんに30秒間の拍手で応援と感謝を贈る)

 

全国で広がる

ClapforCarers(クラップ フォー ケアラーズ)の実施

または

医療従事者のみなさんに感謝を敬意を表する活動は

様々行われています

 

こうした 拍手であり メッセージでもあったり

ブルーライトアップでもあったり

今日はブルーインパルスが感謝の飛行をされたとかニュースで見ました

 

また かほく市では 20日で締め切りましたが

医療物資のご提供(ご寄付)をいただいたり

応援と感謝のお気持ちをたくさんいただいております

 

さて 今日は議長さんの音頭で

30秒の拍手を贈るとともに

 

「感謝」

について改めて考えてみる機会がありました

 

感謝とは

他人に対しお礼の気持ちを持つ

または伝えること 有り難いと思う気持ち

@国語辞典より

 

ですが

 

感じるに「謝る」と書いて 感謝なんですね

 

なぜ 謝らなければならないのか

 

医療現場というのは

専門職でありまして わたしのような知識や経験のないものは

わかならいし できないわけです

 

できない

というのが 大事で

 

感謝というのは

自分ができないことを している できている方に対してすることだと思う

 

つまり

「できなくて すいません」(ありがとう)

「できないので 代わりにしてくれて すいません」(ありがとう)

なのかもしれませんね

 

それは

自分ができていないことに 気づくこと

(※実はここが大事)

 

わたしにだって これくらいできる

と思っていると感謝の気持ちとは実は湧いてこないと思いませんか?

 

本来の感謝は 

自分たちが「できない」ことがあるを自覚することではないだろうか

 

自分ができないことをしてくれている方はすごいといつも思う

 

その瞬間 

感謝の気持ちって湧いてくるような気がするのです

 

逆もしかり

感謝されるには 

人ができないことをする必要があるということ

 

すいません

という言葉にも 謝るだけでなく ありがとうの気持ちの意味を込めた

「すいません」てありますよね

 

今日は わたしが「できない」ことを

代わりにしてくださっている多くのみなさんに感謝を込めて

ClapforCarers(クラップ フォー ケアラーズ)させていただきました