私ってごみくず、かな?!

マーゴット サンダーランド

 

 

 

いじめ

について

 

いじめ調査をしておりますと

この絵本と出会いました

 

いじめられっこのルビーちゃん

自分で自分が

ごみくず だと思ってしまいました

 

たまに 褒めてくる大人がいても

言葉の意味がわからないというか

わたしには

「疑い」としてしか受け取れないのだと思う

 

それは

 

強い「自己否定」からくるものだと思う

 

いじめられつづけると

「いじめられる自分が悪い」

自己否定に陥り

自分で自分でさえも ごみ扱いするようになるんですね

 

わたしも似た経験をしたことがあります

 

本来は いじめる側にも問題はあるはずなのですが

誹謗中傷したり

無視されたり

時には 物を隠されたりとかね

 

された時は

される自分が悪いんだ

と自分を責めるとですね

自分を嫌いになりますよね

 

嫌いなものに対して

わたしたちは どのような扱いをしますか?

 

大切に扱うことはないと思います

 

これが 強烈な自己否定として

自らごみ扱いをしてしまうということになるんですね

 

この負の連鎖に入る前に

気づかなければいけないのが

 

自分の本当の声です

「いじめられるのは 嫌だ」

 

 

ルビーちゃんは 運よく

給食のおばさんにこんなことを言われる

 

「人はね 自分がちっぽけだって感じると

他の人をちっぽけだって思わせて

自分を大きいと思いたがるのよね

そうやって いじめっこはできあがる」

 

いじめる方は

いじめている意識があるかどうかわかりませんが

 

自分がちっぽけだということを

意識はしていないと思う

というか 向き合えないと思う

 

それよりも大切なことは

自己肯定感

 

自分をごみ扱いするどころか

自分の素敵なところを見つけて

大切に扱うことだと思うんですね

 

ホントは

いじめる側も自己肯定感は必要

いじめられる側も必要

 

ただ言えることは

自分の劣等感を相手に押し付けることがないように

どうしたらいいのか

 

これが いじめの元

 

わたしにも劣等感というか

ダメだなアと思うところはたくさんあるんですが

 

それも

わたしの一部であり

個性である

 

おかげさまで ダメな部分は

多くの方がサポートしてくださる

 

それでも 自分を最大限に使える部分は

徹底的に使いまくる

 

社会は 人は 一定ではありません

凸凹している人たちの集まり

 

完璧な人はいないと思う

凸凹をどうのようにするか

 

あたなができないことは わたしがする

わたしができないことは あなたがする

これが 共存というものだと思うんですね

 

みんな仲良く

という教えがありますが

仲良くというあり方は

単純なものではなく

お互いの できる・できないを理解し

補い合えるあり方だと思う

 

自分ができない・持っていないという

劣等感を他人に責任を押し付ける行為を

いじめと 言うとわたしは思っています

 

誹謗中傷に対して

わたしは

言った相手に面と向かってで聞いてみました

 

「私がお嫌いですか?」

 

「そんなことないです」

 

「私がお嫌いなら受け入れますが

嫌いじゃないのに なぜ傷つけられますか?」

 

「・・・・・・・」

 

どうして 人を傷つけるのか いじめるかは

いじめる側の心の中に聞いてみることです

 

 

嫌なことをされたら

嫌だという気持ちに素直になり

誰かに助けを求める

そして わたしたち大人が

その気持ちを否定することなく受け止めること

 

自己否定から何も生まれません

 

子どもの心理臨床絵本

おすすめです

 

大人の方も手に取られるといいと思います

 

いじめ防止推進法という法律がありますが

この法律がどこまで 子供たちを守れているのか

わかりませんが

 

地域でもできることがあると思う

まずは それを考え提案していきます

 

学校だけでなく

地域で

いじめる子も

いじめられる子も

救うあり方はあると思う