孤独という道づれ

岸 恵子

 

 

孤独という道づれ 孤独という道づれ
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孤独

仲間や身寄りがなく

ひとりぼっちであること

思うことを語ったり

心を通いあわせたりする人が

一人もないくさみしいこと

@国語辞典より

 

哲学者の三木 清さんは

「人生論ノート」にこんなことを記しています

 

「孤独とは山になく、街にある」

 

わたしも登山経験者であり

割と散歩など自然の中の一人行動は

孤独を感じたことがないんですね

不思議ですよね

 

ですが 人がいる社会の中では

人間関係による希薄さを感じ

なぜか孤独を感じることもあったりします

 

それは どうしてかな?

と 折に触れて考えることがあります

 

先日

めでたく ご昇進された方の

おめでとう会をしたとき

お酒の席ですので 本音がポロリと出るワケですよ

 

「この立場は孤独だということがわかりました」

 

リーダーは孤独を感じやすい

と言いますが

これは

リーダーや管理職など役職がついて

他の社員 職員より立ち位置が変わるというか

ご昇進ですので 上がりますと

物事を見る・考える角度が変わるのも当然ですね

 

これは 完全なる

縦割り社会で起きていることでして

今までは 仲間としてなんでも相談したり

議論ができたかもしれませんがそれができないとかね

 

 

「孤独という道づれ」

というエッセイを出版されて

女優の岸 恵子さんのTVインタビューを見る機会がありました

 

「孤独の裏側には自由があり

自由の裏側には孤独がある

孤独くらいいい道づれはない」

 

と仰っているお姿が印象的でした

 

わたしたちは

とても矛盾していて

自由になりたいくせに

孤独を怖がる

 

孤独になりたくないから

見えない縛りの中にわざわざ入る時もある

 

小学生のころ

男子の集団に

「男の中に女が一人」

と言われ いじめられた経験があります

 

わたしにしたら

それが何か問題でも?

と思いましたが

 

内心 「まとまらないと 人をいじめられないのか?

一人では わたしをいじめられませんか?」

実に醜いな・・・と思ってました

 

確かに 一人は力においては弱い

集団は協力という大きな力になる

素晴らしい力となる

 

しかし それをどのように使うか

いじめるために使うのか

権力として使うのか

これは 美しくありませんよね

 

そういう意味では 孤独を恐れとして

感じている場合は実は不健全だったりします

 

健全な孤独

 

一人で立つということは

わたしの好きな言葉で

 

「自律」(じりつ)

自分を律する

 

という意味だったりします

 

ご昇進あそばせて 孤独を感じている管理職の方は

わたしにしたら

実は カッコいいなと感じた次第です

 

だって 本音を語ってくれたんですよ

(その立場で本音を語るってなかなかできませんよー)

 

それは

「自律」されていると見えたからです

 

 

それぞれに自分を律することができたなら

わたしは 横のつながりに満ちた

いい社会になると思うワケです

 

自律とは

誰かに管理されることなく

自分で自分を管理することです

 

もしかすると

管理職

という言葉もですね

ホントの意味を深堀すると

部下を管理するというより

自分自信を管理できている人のことを言うのかもしれませんね

 

不健全な集団意識で

人を支配するのではなく

個々の意見を聞き見て

まとめていく

そのような社会であってほしいと

わたしは願うのであります

 

孤独は時に美しい時もある

 

岸恵子さんのエッセイを読んで

感じたことです