今年の

「卒業式」

3校出席してきました

 

長男が在校する高校のPTA会長として

高校の卒業式

地元の中学校・小学校の卒業式

 

その度に 涙腺崩壊してきております

(タオルハンカチは欠かせません)

 

今年も 立派に旅立っていかれました

 

さて

ゆく年くる年

と言いますが

 

行く人来る人

というところでしょうか

 

去っていく人もいれば

逆に

やってくる人もいる

 

見送る側を卒業式では経験しましたが

4月は

お迎えする側を経験するわけです

 

これって考えてみると

ホントに興味深いのですが

 

別れてを経験することで

日常 普段の何気ない1コマが大切であること

いかに無意識に過ごしているか気づかされます

 

出会いを経験することで

今まで思っていたことや感じていたことの

幅というかフィ―ルドや視野が広がることの可能性

があるということ

 

はじめまして

は どなたも最初はぎこちないものですが

新しく始めるという意味では

フィ―ルドを広げる楽しみを

期待して 迎える側としても心したいものです

 

 

高校の卒業式では

PTA会長としての祝辞させていただきましたが

 

今度は

入学式の祝辞の式辞用紙が届きました

 

次は入学式

 

気持ちの切り替え

お見送りする側から

お迎えする側へ

 

これまた 同じ祝辞でも内容が違います

 

いっらっしゃい

いらっしゃい

 

「て」 があるのとないのでは意味が違うんですね

 

つまり

「てぬき」(手抜き)

 

手抜きって さぼってズルするイメージですが

囲碁や将棋では

相手の攻撃に応手しないで

他の方面に打つという理解がありますが

 

歓迎する意味で

手を腕を組んだままではなく

 

いらっしゃーい

ですので

手を広げて 懐に入りやすいような

祝辞になればいいと思いながら

祝辞の原稿を考えています

 

つまり 「手放し」ですね

 

もうすぐ やってくる人たちがいる

ことを考えて綴ってみます