一切なりゆき

~樹木希林のことば~

樹木希林

 

 

 

今週は 一般質問

春闘集会 国際女性デー集会

市民文教常任委員会

そして 次男の公立高校入試と

怒涛のように日々が過ぎ去りまして

 

ほぼほぼ

「抜け殻」

状態でございましたので

今日は 自分の時間を少し取らせていただいて

久しぶりに読書をする時間を持ってみました

 

体は疲れで重いのですが

「抜け殻」になっているとは逆に軽くなっているはずです

 

矛盾ですよね(笑)

 

以前から気になっていた

樹木希林さんの本を手に取ってみました

 

昨年の9月 惜しまれながら

亡くなられた樹木希林さん

彼女の生き方や言葉は

軽やかだったな~という印象があります

 

 

 

映画 万引き家族

を観ましたが 樹木さんの

自然な演技と存在感は

重すぎる生き方をする現在の人に対して

学ぶことがたくさんあると感じていました

 

「物も自分も使い切る」

 

この言葉がまさに生き様

 

わたしは 自分を使い切っているだろうか?

と立ち止まって考えてみました

 

 

自分を使い切る

 

 

これは

自分の役割

を知っていますか?

という問いかけだと思いますね

 

わたしなんかは かつで

自分の生い立ちた 性別や

経験したくない経験まで

すべて否定しておりましたので

 

持って生まれた自分の個性や

長きにわたる経験まで

「できれば経験したくなかった」

と思っていましたので

それを 何かの役に立てようとも思わず

逆に隠していたことが多かったです

 

自由になりたいくせに

自ら不自由にしていました

 

過去の経験は消えませんし

生い立ちも環境も消すことできません

そのような土壌で育った自分ですので

あるがままの自分で生きることが

わたしは

樹木希林さんが言う

 

「自分を使い切る」

とは どのような立場であろうと

自然体の自分でいることなのかもしれません

 

体が重い と感じて

疲れたと思うのは

まだまだ

わたしは

自分を使い切っていないのかもしれません

 

つまり

装うことをしているのかもしれませんね

(例として 議員らしくしないととか)

 

母親らしさ

女性らしさ

社会人として

大人として

とか・・・

 

らしさ は 装いでしかないかもしれませんね

 

一番軽やかな生き方は

自分らしさ

を保つことなのかもしれません

 

できれば

自分らしさが育つ社会であってほしい

 

これから多様性の時代を担う子供たちのためにも

 

それには

わたしたち大人が

着飾ることなく自然でいることなのかもしれません