発達障害

生きづらさを抱える

少数派の「種族」たち

本田秀夫

 

 

 

アメーバのトピックを見てみると

毎日

「発達障害」

をテーマにしたブログが必ず上がってきます

(それだけ注目されているワードだと思います)

 

子育てに関して親御さんの奮闘記や

ご自身が発達障害で日々の想いをつづった内容まで

時間のある時 拝見させていただきながら

みなさんの思っていること

感じていることを共感しています

 

わたしの長男(高2)も

AS+ADHD を3歳で診断を受けまして

日々いろんなことがありますが

今では ユニークな息子として理解できるようになりました

 

そこまで来るまでに

かなりの悩みも苦しみも抱えていたわけで・・・

彼が診断を受けた 今から14年前とは

 

発達障害ってなんですか?

 

みたいな時代でして

これだけ多くのブログの発信や本もない時代でして

周りにも 同じ診断を受けている方が

いるかいないかわからない状態で

親としては 一人で悩みを抱えていた経験があります

 

保育園から就学へ

思春期に反抗期 受験・・・

強いこだわりとパニックを繰り返し

成長とともに

静かにはなってきておりますが

高校生という年代のお悩みごとも

難しいなあとみています

 

最近は パニックという形で

彼の思いを見ることは少なくなりましたが

それとは逆に 体に症状が出る形で出てきています

 

例えば 腹痛

病院で受診しても 病名が見当たらない場合が多々ありまして

精神的なストレスであることが

腹痛という症状として現れます

 

高2ともなれば

「進学」を考えなければならないということと

最近 本人と自分の診断について

話をする機会がありました

 

特徴・特性というのはここに違いますので

「これが 発達障害だ」

とは 一口で言えませんが

 

どこか自分は人と違う

ということを気にし始めたようです

 

同級生はできて

自分にはできない

同級生は決めることができて(進学先)

自分は決めることができない

 

「置いていかれた感じ」

という表現がふさわしいかどうかわかりませんが

わたしからみてそう感じます

 

少し前に 手に取ってみた

精神科のドクターの本

 

本の帯に

「発達障害は病気というよりも

少数派の「種族」だから生きづらい」

 

と ズバリ書いてある

 

個性というより 少数派

だから

「置いていかれた感」

または

他者と境界線ができたように感じるのか

 

ユニークとは

他に類を見ないさま

独特のさま

という理解があります

 

日本では ユニークを「面白い」と

理解してしまいがちですが

 

実は違ったりします

 

他とは違う独自性のあること

つまり 少数派ということでもあるのかもしれません

 

少数派に何の問題があるのか?

 

民族や思想やジェンダー

さまざまな分野で少数派は生きづらいのかもしれませんが

実は 逆に影響力はあると

わたしは思っています

 

ニュースでもブログでも

発達障害というワードが出てくる

 

それは 「気になるから」

 

多数派が気になるからでもあったりするのではないでしょうか

よりよく 発達障害を理解していただけるとありがたい

 

という話を長男にしてみた

少しは元気になってもらえると嬉しい