「つもりはなかった・・・」

 

お決まりの言葉

また聞いてしまった

 

また悲しい事件は起きてしまった

父親の虐待で小4の女の子の

若い命が失われた

 

ニュースでは

逮捕された父親の

「ケガをさせるつもりはなかった」

 

 

つもりはなかった

では

どんな つもりだったの?

 

つもりはなかった

という言葉が逆に傷つくことがある

 

それを言われた経験は

わたしは何度もありますが

 

悪気がない とか

そんなつもりはないとか

 

相手のことを考えて発する言葉ではないと

思ってしまいます

 

「そんな風に受け取るあなたが悪い」

と言われている気がするのはわたしだけでしょうか?

 

これ 責任転換ではないだろうか

 

虐待された子が何をしたのでしょうか?

しつけでしょうか?

 

現実を見なければなりません

 

虐待だけではありません

DV モラハラ パワハラ セクハラ いじめ

わたしのところに数多く声が届きます

 

おそらく 被害を経験されたことのある方は

「つもりはなかった」

と聞くと自分のことではなくても

傷ついているのではないだろうか

 

子供を虐待から守る方法とは

 

相手は「強いもの」である

それは 親かもしれない

上司かもしれない パートナーかもしれない

同級生かもしれない

上下関係というパワーが引き起こすもの

 

弱い者いじめを

しつけ 指導 冗談だ

と問題をすり替えようとするのは

強い側の主張だったりする

 

主張しなければ強い立場でいられないのか

(暴力・暴言で)

と考えると 加害を与える側も弱き人なのかもしれません

 

例として

虐待における一つの考え方として

「強すぎる親権」

があります

 

虐待する親から引き離すために

児童養護施設や里親に預けるにしても

家庭裁判所の勧告がある例を除けば

親の同意が必要だったりします

 

そして 児童相談所の強化も必要

警察との連携もしかり

 

強すぎるものをどのように柔らかくしていくのか

 

昨年 金沢の児童相談所を訪ねた際

職員さんから様々な現状をお伺いした

児童相談所の職員さんも苦しい中

人で不足の中 懸命に取り組んでいらした

涙ぐましい努力も見えた

 

しかし 現状は悲しいニュースを目にする

 

児童相談所のサポート

そして オレンジリボンキャンペーンなどに見る

啓発活動の強化 強すぎる親権について考えていく

ならびに 強いものへ

弱いものが声を上げること

 

なぜか被害者が小さくなってしまうケースがあります

何も悪いことしていないのに

 

今も虐待にあっている

DVやいじめにあっている子供だけでなく人がいる限り

一刻の猶予もない状態です

 

多様な家族の在り方(里親制度)

を社会全体が理解と支援をしていく必要性がある