女という生きもの

益田 ミリ

 

 

 

女性が輝く社会を目指す

政府は言っておりますが

 

わたしはずっと その意味を考えています

 

内心「今まで女性は輝いていなかったのか?」

と思うこともございます

 

女性の社会進出や雇用促進

男性優位の雇用環境の改善

家庭では 男女の役割分担意識

(イクメンと言われるような)

 

出産 育児 家事 労働

女性の負担というのは実は トータル的にみると大きい

 

特に 「結婚」について

 

最近 40代で独身の女性とお話する機会がありましたが

「結婚していないことで後ろめたい

まるで自分が評価されていない気がしてつらい」

と話されていたことがありました

 

結婚 出産しないでいる自分が

世間から責められているようで・・・

 

誰も 責めてはいないのですが

見えない敵と戦っている感じがするのでしょうか

 

それで 輝けるのかなぁと ふと思いました

 

益田ミリさんの

「女という生きもの」

実に 考え深い内容でした

 

40代独身女性の気負わない日常エッセイ

結婚してても していなくても

共感できる内容だと思います

 

その中でも

独身女性がわたしに嘆いた言葉を思い出させる内容も・・・

 

女性は もしかしたら

気負いすぎ または 身構えすぎなのかもしれません

(女性だけではなく 男性も どなたも)

 

 

女性が輝く社会

なんて言われると

なおさら 気負いすぎるかもしれません

 

わたし 輝いていないんだ

 

わたしもかつては 世間の目の気にして

結婚しないと 子供産まないと

働かないと 社会に貢献しないと

と焦った時期もありましたが

 

それって 重くないですか?

というお話です

 

できない自分を否定することで

劣等感もまた生まれてしまう

 

女性議員が少ないのも しかり

気負いすぎ 身構えすぎな部分というのは

少なからずありまして

そこの領域に足を踏み入れにくいのもあると思う

結婚も出産も仕事も

(わたしも出馬要請があったとき 瞬時に考えました)

 

登山をするイメージ

山に登るときは いかに荷物を軽量化するかですが

重いものを心に持っていても

前には進みにくい

そして 重いものを背負わせるのもよくないと思う

 

女性が輝く・・・

というより

女性だけでなく 男性も いろんな方も

個人の個性が生かすことができる社会であってほしいわけです

 

わたしも 女性議員と言われますが

女性らしさをウリにするより

わたしという個性を生かせるスタイルで

(個性とは「経験」ですね)

活動できるように心がけております

 

自分の幸せは世間が決めるものではなく

自分自身で決めるものだと思う