9月12日

 

本日は 市民文教分科会でした

(決算審査)

 

その中で

生涯学習課さんから

 

西田幾多郎博士の

(世界の哲学者 西田幾多郎先生は

かほく市のお生まれです)

未公開ノート類研究資料化

配布されました

 

今年の6月に

さらに 未公開ノートが50冊見つかるという

ニュースが飛び込んできましたが

更なる 「善の研究」の思索に迫るものだと思っています

 

 

 

パラパラと拝読させてもらいましたが

西田幾多郎記念哲学館の

中嶋研究員はさすがだな〜と思う

 

彼の翻訳は 実にわかりやすい

 

中嶋研究員の主宰する 哲学カフェに

何度か参加したことがありますが

 

「哲学」って難しいんでしょ?

という思い込みを優しくはがしてくれる方です

 

身近な話題から

自己とは何か

今まで意識していなかったことに対して

考えてみること

足をはたと止めてみることを

強制ではなく 

「してみたらいいんじゃな〜い」

という軽やかな感覚でお勧めしてくださる

 

面白かったのは

未公開ノートの翻訳に

「反省」

について

 

「反省ということで何が意味されているのか?」

 

と記してある

 

反省に意味ですか・・・

 

反省

自分のしたことをかえりみて

その可否を改めて考えること

@国語辞典より

 

↑って 当たり前のことかもしれませんが

 

さらに 掘り下げあるのが

西田哲学

 

ここに

「観念が試されるとき」

と記してある

 

観念とは 自分の考え でもあるが

もう一つの理解として

 

「あきらめる 受け入れる」

という理解があるんですね

 

どうしても 自分が正しい!

と思いがちです

(わたしもそんな時ある)

 

と言いましても

あきらめて なんでも受け入れたらいいんじゃない〜

というのが 西田博士は言いたいのではなく

 

これだけ 世の中には

多くの人がいて 性別も人種も言葉も文化も環境も

違うわけでして

 

NO!とか

YES!とか

を相手に押し付ける

あいつが悪い とか

わたしが正しいとか とか

または 否定することではなくって

 

様々な考え方があっていいんじゃない?

ということです

 

つまり 白も黒も右も左もない

「統合」または「統一」

ということを 西田先生はノートの中で

言いたかったのかもしれません

(これは 私の勝手な見解ですが)

 

知ってました?

自分を受け入れてほしかったら

相手をまず 自分が受け入れないと

受け入れてもらないことを

 

ご存じでした?

哲学って 書物を読んだり

セミナーを受けただけでは理解できないこと

 

理解するには

実践 すること

 

西田幾多郎博士のお孫さんの

上田薫さんはこう言います

 

「西田哲学は読まれるだけでは価値がない」

 

まさに!

 

反省 という部分に目が留まりました

 

わたしも 反省する部分が

沢山あると思う

反省とは 相手のことを受け入れることだったりします

 

かほく市民の一人として

西田哲学 学ぶ・・・というより

なによりも 実践ですね

 

すべては この身で

体験してみないとわからないものです

 

西田幾多郎記念哲学館/かほく市

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