「普通がいい」という病

泉谷閑示

 

 

 

NHKの発達障碍キャンペーン

「普通って何だろう?」

 

GW中 テレビをつけると

度々 わたしたちに問いかけてくる番組が

放送されていました

 

「見えにくい障害」とも言われる発達障害

多くの人にとっては「普通」のことが

発達障害のある人には「普通」でないことが多くあります

発達障害の本人が何に困っているのか

それを周囲が理解することが、支えになるといいます

@NHKサイトより

 

広汎性発達障碍の方の日常を追いながら

「じゃあ 普通ってなんなのさ」

とみなさんで考える啓発を来なっていました

 

普通 って 何?

 

普通さぁ〜 

という枕詞を使うことありますが

では その普通の基準ってなんですか?

と聞かれたら わたしは答えにくいです

 

お得意の辞書で調べますと

普通

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。

それがあたりまえであること。めずらしくないこと。

@国語辞典より

 
 過去 上司に
「普通に考えろ!」
と怒られたことあるんですよ
 
その時 普通を理解できなくて
何もできない自分を責めたことがありました
「わたしは できない子だ」
という自己否定が始まると
役に立たない人間だと思い込むとですね
益々 仕事できないわけですよ
 
ですが よくよく考えるとですね
「普通」ってなんだろう?と考えた時に
上司の言う 「普通に考えろ」と言うのは
説明不足だなと思ったんですね
 
上司にすると
普通に考えろと言えば 普通にわたしは理解できる子だと
思っていたのでしょうか
 
逆に上司に
「普通に考えろの 普通ってなんですか?」
とお聞きしたところ
 
「口答えするな」とまた怒られた経験がありますが
 
実は これは良い経験でして
普通ってなんですか?とお聞きして逆上されるのは
彼の中の問題でありまして
質問していることに対して
きちんと明確に答えられないどころか
お怒りになるというのは
「俺の言ってることを理解してくれない!」
と言うことなんだと思いますが・・・
 
申し訳ございません
生まれも育ちも性別も違いますので
あなた基準の普通はわかりません
ということなんですね
 
無意識に人は
自分の基準を押し付けてしまうことがあります
 
わたしの中にも「普通」はあります
それは たぶん自分の中だけの基準
 
でも 目に見えないし 計るものでもなく
 
実は 普通とは 幻想または理想に近いのかもしれませんが
その幻想にわたしたちは悩むし苦しむ
 
「普通は多数派
標準的な社会適応しているといった価値観を含んでいる」
という本書の中にある一文
 
時に その理想や多数派の普通に
適応できない場合 自分が悪いと落ち込んでしまうことがあります
 
これも 発達障碍の方や
もしかすると カサンドラ症候群の方にもあるかもしれません
(二次障害として うつや精神障害となる場合もある)
 
うちの長男が よく言うのは
「普通は俺が基準や!」
 
まさに その通り
 
外側の世界を気にしすぎると
そこに合せられない自分と外側の世界に
境界線を引いてしまいます
 
発達障碍の方
カサンドラの方
「つらい」
と ご相談に来られています
 
ですが 言えることは
普通とは それぞれに違うこと
わたしたちは それぞれの「普通」という理想を持っているワケで
それを 誰かに押し付けるものでもないということ
 
歩み寄り 分かり合えるように という
キレイゴトなんて言ってる場合でもないのかもしれません
それは まだ普通を押し付ける社会であるからです
 
普通って・・・結論
「つまらない」
ことですよ
そして
「目立つな」
ということ
 
国語辞典に記してある
普通の意味を読むとそう思いました
 
上司の
「普通に考えろ!」とは
面白く 変形した私の思考ではなく
「つまらなくしろ」という意味だったなら
笑えますよね!!
 
なら 最初から「つまらなくしろ」と言えばいいのに
 
誰かに飼いならされた個性でいいのか
↑これ 普通って何?の最大の課題
 
まだまだ 声をあげていかないといけないな
つまらない政治だから興味を持っていただけない
投票率上がらない・・・
 
普通なことしても 実にならないワケです
目立つには 普通じゃないことしないとね
キレイゴト並べている場合ではございませんよ
とわたしは思う
 
発達障碍キャンペーンに便乗して
わたしも 普通について考えてみました
 
みなさんは どうお考えになります?