人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

午堂 登紀雄

 

 

 

10年ほど前に

落ち込んでいたわたしに

知人がこんなことを言ってくれました

 

「孤独ではなく 孤高になれ」

 

孤高

俗世間から離れて、ひとり自分の志を 守ること

@国語辞典

 

↑なんだか よくわかりませんね・・・

 

わたし的に 今の時点での理解では

孤高とは 信念を持っている人でもなく

頑固者でもなく 一匹オオカミでもなく

集団の中にいても 

 自分の価値を集団の中に押し付けず

認めてもらおうという気持ちよりも

「自分で自分を一番わかっている」

イメージでしょうか

 

わたしが 孤独を感じた時

「わたしを認めて〜!」

「わたしのことわかってほしい!」

ということが心の中に起きている時です

(つまり 承認欲求ですよね)

 

例として

わたしがこんなに丁寧に優しく言っているのに

なぜ あの人は わたしにキツい言い方するんだ!

(してやってる感ですよね これ)

 

10年前は こんな感じでおりましたので

孤独だー 寂しいー 仲間がほしいー

誰もわかってくれないー

という 自分で 他者との距離感や疎外感を感じて

悩んでいたものでした(←青い自分がおりました)

 

昨今は SNSという便利なものが存在しておりますので

離れていても 誰かと繋がっている感を味わうことができます

 

わたしも そんなSNSを便利に

使っている一人ですが

この数日つづいている大雪で

予定(面談や会議など)の予定がすべてキャンセルになり

市内から出られない状態

いつもなら 誰かと会ってコミニケーションを取るのですが

 

毎日毎日 雪とのコミニケーション

相手は話はしませんので

だんだんと 自分(御身)一つの状態で

誰か聞いて!見て!という場合ではなくなるんですね

(除雪しないと車出せない!必死

道路の通学路雪どかさないと歩行者危険!必死

ただひたすらに雪をどかす・・・どかす・・・)

 

孤独は 寂しくって辛い!

という考え方ではなくて

それさえも 楽しんでいると

何か 違う大切なものが見えてくるんです

 

それは わたしの場合

「家族」

でした

 

いつもなら やってくれない除雪も

わたし一人で淡々とやっていると

見かねた子供たちが

 

「変わるよ」

と 頼まなくても やってくれる

※頼んだらやってくれないんですよ(笑)

 
やってよ!と要求するから やってくれない
やってほしいなら 自分がやってる姿みせないとねということです

 

 

この連日の大雪の夜

除雪で疲れた身体を休める時に

読んでみた

 

人生の「質」を上げる 孤独をたのしむ力

 

「友達の数を気にする」
やめられない人→神経をすり減らして、自分を追い詰めてしまう。
やめられた人 →本当に必要な仲間ができる。

「予定を詰め込む」
やめられない人→心のバランスが崩れ、ストレスをためこむ。
やめられた人 →心のバランスがとれ、充足感が得られる。

「相談して決断」
やめられない人→他人のせいにして、途中で迷いが生じる。
やめられた人 →自分の決断に自信を持ち、没頭する。

「孤独」をたのしめば、周囲に振り回されることなく

「自分が本当に大切にしたいもの」に気づき、

正直に生きることができます。

@本書より

 

なるほどな・・・

無理して予定を詰め込み過ぎるパターンのあるわたしですが

この雪がもたらしたもの

 

心のバランスがとれ、充足感が得られる

 

身体は疲れていますが

大切なものを確認できた充実感に満たされています

 

もちろん この大雪で

課題もたくさん見えてきました!!

市民の方からもご指摘ご意見

いただきましたので

じっくりと見据えて考えて

何かの力に流されることなく

声を上げていけるのかもしれません

 

孤高

俗世間から離れて、ひとり自分の志を 守ること

 

↑ですからね

どなたかの意志ではなく

いかに 自分の意志であるか

 

雪の降る 空を見上げ

わたしに

「孤独ではなく 孤高になれ」

と言った知人の言葉の意味を

改めて噛みしめています